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『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎

谷崎潤一郎(1886年ー1965年、東京日本橋生まれ)は、言わずと知れた昭和文壇の大御所です。

若い頃、数冊読んだことがありますが、好きな作家ではありませんでした。そういえば、谷崎現代語訳『源氏物語』も途中で放り出してしまっていたなあ。

それが「ほの暗い闇のうちに見つけた日本的な美の本質」を探ろうと手に取ってみました。

文庫本の帯に「まあどう云う具合になるか、試しに電燈を消してみることだ」

「『人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で解けるのを感じ、本当はそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う』ー西洋との本質的な相違に目を配り、かげや隅の内に日本的な美の本質を見る」

本書は全集第20巻、21巻の集録されています。昭和5年から23年に発表された随筆です。
1 陰翳礼讃 
2 懶惰の説 
3 恋愛及び色情 
4 客ぎらい 
5 旅のいろいろ 
6 厠のいろいろ

谷崎の美へのこだわりが書かれています。自分にとっての美を求めてのインテリアのこだわり。私自身はそんなにこだわっていないけれど、目が悪いのに、居住空間の蛍光灯は避けています。

昭和初期から前半に書かれたものなのに、全く古くさくないのです。西洋と東洋、世代格差も今の話のようです。

「ある程度の薄暗さと、徹底的に清潔」で「蚊のうなりさえ耳につくような静けさ」がある厠で、「しとしと降る雨の音を聞くのを好む」

女性の考察はどうでしょうか。昔の「奥」「奥さん」、「闇の中に住む彼女たちの取っては、ほの白い顔ひとつあれば、胴体は必要なかったのだ」。「東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである」と。闇、陰翳から女性の美しさを述べています。「『女』と『夜』は今も昔も附き物である」と。男性の視点ですかね。

清潔度、恋愛から各国の国民性も論じています。

まだ電灯がなかった時代の、今と違った美の感覚が書かれています。日本では陰翳を認め、陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げてきました。 建築、照明、紙、食器、食べ物、女性、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたって陰翳の考察がなされています。

解説を吉行淳之介がしています。
1975年に文庫になり、私が読んだ本が2015年改訂29版です。今や古典ですね。古典の良さのある本でした。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『ゆうじょこう』村田喜代子

著者村田喜代子は1945年、福岡八幡の生まれ。87年、『鍋の中』で芥川賞受賞したのをきっかけに『白い山』で女流文学賞、『真夜中の自転車』で平林たい子賞、『望潮』で川端康成賞などを受賞しています。本書で読売文学賞を受賞しました。

「貧しさ故に熊本の郭に売られた海女の娘イチ、郭の学校、女紅場(じょこうば)で読み書きを学び,娼妓として鍛錬を積むうち,女たちの悲哀を目の当たりにする。妊娠するもの,逃亡するもの、刃傷沙汰で命を落とすものや親の更なる借金のために転売されるものもいた。しかし,明治の改革の風を受け、ついに彼女たちはストライキを決意するー過酷な運命を逞しく生き抜く遊女を描いた。」

目次がほとんどひらがなです。
「なみの上」
「へ(灰)がふっ(降る)とおもいだす」
「いやい(蟻)が ないておりも(申)した」
「じ(地)のそこがほげもした(抜け申)」
「しろい ち(血)ば すい(吸い)もした」
他「あたいは たちいお(太刀魚)に なりもした」
「しょうぎ(娼妓)に おやは いりませぬ」
「なみの上で しにまする」などがあります。

イチは女紅場という廓の学校で勉強し、文字を覚え,自分の気持ちが綴れるようになるのです。
時にひどく殴られ、血を流し、娼妓となるわけですが、村田の筆致にはじとっとした湿り気はありません。三島由紀夫の『潮騒』のように、海の娘の素朴な逞しさ,賢さがあるのです。廓という状況下なのに、誰を恨むわけでもなく、前へ進もうとする強さがあるのです。

イチは硫黄島から熊本の東雲楼という大きな郭に売られてきた15歳の娘。時は明治36年。着いた日に他の3人の娘と同様、楼主に股を割られ,検分された。うりざね顔で、海で鍛えた美しい体を持つイチは高い値でこの東雲楼に売られてきたのだ。ここでは国訛りは御法度。イチは「こけー、こー(ここへ来い)」「こー、けー(これをください)」とニワトリのような声を出す娘だった。

しばらくはまだ店には出ず、東雲楼随一の花魁、東雲の部屋子となり、化粧の仕方、言葉遣い、立ち居振る舞いを学ぶことになった。

寝床のおける性技も、遣り手婆から特訓を受け、午後は女紅場で勉強。そこには元士族の娘で没落し,元娼妓だった鐵子さんがお師匠さんとして娼妓の暮らしに必要な言葉、文字、計算などを教える。明治34年開校。この廓、女紅場は実在したという。

イチの日記
じょうり(草履) はくの わすれて
いぬ、ねこだと 言われました
あたいの おとさん おかさん
しまでは はだしで あるいている
あたいは ここで じょうり はいている
じょうりを はいたら にんげん でしょか

このイチの日記がとてもいいのです。これは作者が創作したものなのでしょうか。資料から見つけたものなのでしょうか。

50がらみの男の初穂刈り イチは「痛て、痛て」と目を見開き、涙を流す。そしてイチは「はつほのばんにじだ(地面)がほげもした」と綴るのだった。

お師匠さんの鐵子さんは福沢諭吉の『新女大学』を読み、発奮したり,腹に据えかねたりしている。諭吉の女子への公平な愛というものは身分のある家の婦女子だけに注がれていることがわかり、腹を立てる。吉原で年季明けまで働き,稽古を治め、東京帝大の理学士と結婚しベルリンで暮らす友達もいたという。

鐵子さんは太陽が一番偉いと娘たちに教える。父母のため,親孝行のためという名目で、ここにいる娘たちは売れてきたが、お天道様のために売られることない.ただ恵みの光を注ぐだけだと語る。

花魁の紫が妊娠し、出産したが、子供を手放さず、東雲楼にも戻らず、姿を消した。

そんな頃、造船所でストライキが起きた。東雲楼の女郎たちも待遇改善を訴えてストライキに入る。
「たばこのね、さげれ」
「客のない日も ばんめしくわせ(食わせろ)」
と項目を並べ、紙に書いた。これに花魁の東雲さんも加わることになる。

お師匠さんの鐵子さんが樋口一葉のように賢く、全体を引き締め,引っ張って行くのですが、この鐵子さんが描写がもっと少なかったら、どうだっただろうかと思いました。

この作者の本をもっと読みたいと思いました。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『ご機嫌な彼女たち』 石井睦美

著者石井 睦美(1957年神奈川県生まれ)。
1990年『五月のはじめ、日曜日の朝』で第三回毎日新聞はないちもんめ童話大賞・新美南吉児童文学賞などを受賞。2003年、小説『パスカルの恋』で第14回朝日新人文学賞を受賞し、筆名・駒井れんとして発表。2011年、『皿と紙ひこうき』で第51回日本児童文学者協会賞受賞。2015年、『わたしちゃん』で第26回ひろすけ童話賞受賞。絵本の翻訳も多数手がけており、2006年にはサラ・マクメナミー『ジャックのあたらしいヨット』の翻訳でが第53回産経児童出版文化賞大賞を受賞した。

石井氏のように児童文学に携わっている人の文章は平易で読みやすく、本書もサクサク面白く読めました。

本書の主人公はシングルで、子持ちの女性たち。

突然夫が家を出ていき、離婚し、娘の杏と暮らす寧(ねい)はフリーの校正者、42歳「それもわたしか」とつぶやきながら、家事をこなす。

寧の大学時代の友人で、問題児、翔を抱える万起子は子育てに悩みながらスタイリストとしてバリバリ働く。時に寧を頼りながら。年下の恋人がいる。

美香は20歳で美雨を生み、未婚の母となり、スーパーで働く。29歳。美雨は利発な子だが、突然美香とも誰とも口を利かなくなった。美雨と翔は同じクラス。美香と万起子はともに担任に呼び出される。

夫を癌で亡くし、料理屋を営む崇子。53歳。崇子と万起子は同じマンションに住む。

今日もバツイチ女性が集まる。

子供を抱え、懸命に生きる女たち。年齢も職業も違うが、ともに子供を抱えて生きる。四の五の言っている暇はない。時につまみながらしゃべり明かす。

実際にはちょっとうまく行き過ぎと思わないでもないけれど、このくらいの緩さがあるので、読後感がよかったのかもしれない。アラフォーの女性から読後感を聞いてみたい。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『忘却のしかた、記憶のしかた 日本・アメリカ・戦争』 ジョン・W。ダワー

本書は2013年出版、原題『Ways of Forgetting, Ways of Remembering: Japan in the Modern World』で、外岡秀俊訳です。
オバマ大統領広島訪問に際して、再び取り上げられた本でもあります。

著者ジョン・ダワーは名著『敗北を抱きしめて』でピューリッツァー賞を受賞した日本近代史、日米関係史を専門とするマサチューセッツ工科大学名誉教授です。訳者は元朝日新聞社記者で、小説『カノン』などの著者でもあります。この翻訳本は読みやすいとは言えません。訳者がダワー氏の表現を直訳しすぎたために、時に難解,時に意味不明になって、いろいろひっかかって、読了までにたいそう時間がかかりました。

見返しには「冷戦の終焉、戦後50年という節目に置いて、またイラクやアフガニスタンでの新しい戦争が進行するなかで、日本とアメリカは,アジア太平洋戦争の記憶をどう呼び起こし,何を忘却してきたのかー。
 ポスターや着物に描かれた戦争宣伝や修辞、ヒロシマ・ナガサキの語られかた、戦後体制のなかで変容する「平和と民主主義」、E・H・ノーマンの再評価など・・・。過去をひもとき、いまと対置することで、「政治化」された歴史の多様性を取りもどす、ダワーの研究のエッセンスが凝縮された、最新の論集。
 1993年以降に発表したエッセイ・評論に著者自身による書き下ろしの解題をつける。」と書かれています。

印象に残った文を断片的に紹介すると、そこだけが強調され、本来の作者の意図とずれてくる懸念、心配がありますが、各章ごとに自分の備忘録として少しずつ抜粋,要約をしたいと思います。

それぞれの章はまず「解題」から始まっています。


第1章 E・H・ノーマン、日本、歴史のもちいかた


ノーマンは1956年に駐エジプトのカナダ大使に任命され、米上院公聴会で「信頼できない人物、多分は共産主義者スパイ」と非難され、57年カイロで自殺した。彼は宣教師一家で日本に生まれ日本語にも堪能だった。ハーバード大学院で日本史の博士号を取得。外交官としての職務を果たしながら、封建末期~近代初期の日本についていくつもの論文を書いた。1940年『日本における近代国家の成立』を出版。ノーマンの著作の特長は、「無名のものへの愛着」である。

「1870年代から80年代にかけて起きた「自由民権」運動は(中略)ノーマンの表現によれば、「リベラルな政治的異議の申したて」という日本に土着の伝統(ええじゃないか)をしめす代表例だった」

第2章 二つの文化における人種、言語、戦争ー アジアにおける第二次世界大戦
当時の日米の考え方が,ポスターなど写真入りで紹介されている。

欧米の社会科学者が人種差別的ステレオタイプを広めた。
マッカーサーの司令部の心理戦専門家たちのレポートによれば、言葉のあらゆる意味において日本人は「ちっぽけな人間」(リトル・ピープル)であると説明した。

それは、第一に日本人は未開で部族的であり、儀式を偏重し、排他的な価値観に左右されていると論じた。第二に、日本人の振るまいは、児童や思春期の子どもに関する西洋の理論を使って分析された。第三に、集団としての日本人が、精神的、情緒的に不安定であり,神経症的、統合失調症的、精神病的、あるいは単純にヒステリーであるという議論をした。

人種差別的な考えは、アジアにおける戦争の全ての側に国民の団結をもたらし、殺戮を容易にさせた。

ほとんどのアメリカ人にとって、第二次大戦はいつも、何か特定のものを意識し、ほかは忘れ去るものだった。自由、民主主義、正義といった御旗のもとに、特定の人種の陸海軍と戦うことの偽善性は、ついぞ率直に認められたことはなく、いまはほとんど忘れられている。

戦争の最中にアメリカ人が最も残虐と見做していた敵はドイツ人ではなく日本人であり、アメリカ人戦争特派員のアーニー・パイルは「アメリカ人の全歴史に於いて日本人ほど嫌われた敵はいなかった」と言った。穏健な雑誌も、「なぜアメリカ人はナチスよりジャップを嫌うのか」という表題の記事を載せた。

日本人もまた人種差別主義者であり、白人の敵に対しても、「大東亜共栄圏」に組み込まれたアジア人に対しても、それぞれ違った意味で、差別的だった。

日本人を害虫に擬したのも、元はナチスがユダヤ人に使った典型的な比喩であり、硫黄島では海兵隊が火炎放射器で洞窟にいる日本人を焼き殺すことを「ネズミの巣を一掃する」と表現された。

西洋人が、「非白人や非西洋人は劣等」という理論を支えるためについには疑似科学やいかがわしい社会科学に頼ったのに対し、日本人はその優越性の起源を神話の歴史に求め、神聖な皇統と臣民の人種的・文化的な同質性という優越性の起源を見出した。

日野葦平は「バターン死の行進」の米兵捕虜を見て、「不純な成り立ちによって国を形成し、民族の矜持を喪失した国家の下水道から流れ落ちてくる汚水を見ているような感じを受け、このようなときほど日本の兵隊が美しく、かつ、日本人たることを誇らかに感ずることはない」と言って捕虜を侮辱したが、これはアーニー・パイルが初めて「人間以下Sub-human」の日本人捕虜を見たときの嫌悪感と、ほぼ完璧な一対をなす。

戦時中に浸透した人種憎悪の辛辣さを思うと、降伏後に日米人がこれほどまで迅速に、親身な関係に向かって動いたのは驚くべきことのように思える。

1970年代アメリカが相対的に没落する一方、日本が経済大国になった時、「通商戦争」や「日本円ブロック」など、アメリカのレトリックの中で人間以下の類人猿は、「肉食エコノミック・アニマル」として復活し、日本人のほうでも日本の達成は、「雑種化された」アメリカが決して真似ることも望みえない、「大和民族」の同質性や純潔のお蔭だとした。

第3章 日本の美しい近代戦

第二次大戦をアジアの目から見ると、それは真珠湾のずっと前に戦争は始まっていた。

満州事変、支那事変,それに続く連合国軍との戦争において打ち出された日本の宣伝は、それが自衛のために必要な正統行為であるとするものだった。日本人戦闘員の死者数は200万人、70万人の市民が亡くなった。アメリカ側の死者は10万人、それは欧州戦域での死者数の3倍にあたる。

日本の15年戦争における愛国的な着物などが作られ、優雅に聖戦のイメージで着飾ったものであり、日本以外にこれに相当するもの(文化)は見当たらないという。
当時の絵画や織物には堂々と戦争を美化した作品が多く、意図しないやり方で戦場と銃後を象徴的に結びつけている。

第4章 「愛されない能力」ー 日本における戦争と記憶
この「愛されない能力」という言葉は、第一次世界大戦時、ドイツ人には「愛されない能力」があるというプロイセン将校がの言葉に由来する。1945年6月、渡邊一夫は日本と日本人についてもいえることではないかと日記に書いた。

いまのほとんどの日本人もまた、この15年戦争は侵略戦争だったと認めている。

第4章は次の小タイトルで分けられている。
 1.否定 
日本の戦争犯罪を否定しようとする様々な日本人の集まりがある。この否定されているものは何か。

 2.道徳的(あるいは不道徳的)等価性の喚起
ここでは東京裁判について論じている。

 3.被害者意識
戦後の日本の政治家が、戦時中の侵略行為・残虐行為を認めたがらない。

当時の森喜朗首相は、日本を「天皇を中心とする神の国」と呼び、「国体の護持」という言葉を使い、戦前の天皇崇拝の隠語を甦らせた。一夜にして、彼は日本の「愛されない能力」の最新の化身となった。

彼は今もオリンピックの国歌を巡り、時の人ですね。

東京裁判史観が批判され、勝者のダブル・スタンダードに注意が呼び起こされ、勝者の偽善という意識は歳月と共に強まっていった。インドシナにおけるアメリカの戦争は、残忍さと無益さという点で、日本の残虐な戦争のアメリカ版だったと言えようと論じている。

 4.日米二国間による日本の戦争犯罪の汚点の除去
冷戦が割り込んできたため、純粋に功利的な政治上の理由から、アメリカ人は日本の戦争犯罪の本質と巨大さを隠蔽したのである。
それは、
(1)日本の侵略と残虐行為に対する天皇の認識と責任
(2)731部隊が満州で,少なくとも3000人の囚人に対して行った致死に至る「医学」実験
(3)数万人のいわゆる慰安婦の徴募と事実上の奴隷化。その多くは韓国・朝鮮の若い女性だった。
(4)中国における日本の化学戦の全容

日米の当局者が、望まなかったのは、戦時の虐待や残虐行為に対する補償の要求にさらされて,日本が脆弱なままにおかれることだった。

 5.罪と責任を認める民衆の議論

我々はこうしたすべてのことに基づき、ある種の「貸借対照表」をつくることができるだろうか。多分できるが、それは危うい仕事だろうと述べている。

第5章 被爆者ー 日本人の記憶のなかの広島と長崎

第二次大戦は、アメリカの大衆の意識に「良い戦争」として刻み込まれており、多くの理由から,これは決して変わることがないだろう。

核の惨害と無条件降伏の精神的外傷は、長い間続いていきた日本に特有の脆弱性と被害の意識を強めることにもなった。原爆が戦争の悲劇的愚かしさを象徴するようになるにつれ、先の戦争そのものが根本的に日本人の悲劇と受け止められるようになった。広島と長崎は日本人の受苦の聖像(イコン)となった。

アメリカは原爆を生き延びた人びとに対し,いかなる援助もしなかった。日本政府が原爆犠牲者に特別の援助を始めたのはやっと1952年に占領が終わってからだった。

活字メディアの検閲は1948年遅くに緩められ、出版に道が開かれた。丸木夫妻の絵ヤ被爆者による著作や回想は,原爆について多くを物語っていた。

より大きな政治的な結果は,アメリカ人や他の非占領地の人たちとより3年かそれ以上遅れて,日本人が真に核戦争の恐怖に直面したことだった。

原爆の被害を調べるにつれ、日系アメリカ人や多くの韓国・朝鮮人が死んだことが明らかになる。日本人に搾取され、アメリカ人に焼き殺されたという意味で二重の犠牲者だった。それはすなわち日本人は犠牲者であると同時に迫害者でもあったことが暴露されたということだ。

ほとんどの日本人にとって、他のアジア人に対する戦争は、アメリカ人に対する戦争とは違っており、道徳観においてもっと遺憾なものだった。そして広島と長崎が、この違いについて多くの説明をするのである。

第6章 広島の医師の日記、50年後

原爆の体験に関する英語で書かれた描写で影響力があったのは、ジョン・ハーシーが1946年に6人の原爆生存者へのインタビューをもとに書いた「ヒロシマ」だった。占領当局はその邦訳出版を数年に渡って禁止した。

1950~52年、広島の医師・蜂谷道彦が自ら重傷を負いながら、8月8日から9月末までの間、廃墟になった病院で生き残った職員と患者に焦点を合わせた『ヒロシマ日記』が日本の医学誌に連載された。55年、英語をはじめ、数十カ国の欧州の言語に翻訳された。

この日記は日本人の身にしみる経験であると同時に国家や文化、人種の境界を超えた残忍な戦争の終りに関する記録である。

ほとんどのアメリカ人は、原爆は数えきれない命を救ったと考えたいのだ。
1994年スミソニアン協会は,写真や爆心地からの遺品をふくむ原爆展の主要案を撤回した。しかし、米上院は戦争に「慈悲深い」終結をもたらした原爆について、協会は記念のやり方を誤ったと非難する決議を満場一致で採決した。

ダワーは、原爆がやったことは,決して元に戻せない.我々のただ一つの望みは,それに正面から向き合い、ヒロシマから学ぶことだと結んでいる。

第7章 真の民主主義は過去をどう祝うべきか

政治的圧力と自己検閲の雰囲気のもとで,研究者は第1に,歴史学にどう取り組むのか,その姿勢を一般人々に伝えねばならない。第2に、特別な研究から学んだこととその結論を、より広く知らしめねばならない。第3に、理想的にアメリカの経験を祝うとは何を意味すべきかについて、定義するようつとめねばならない。最後に,スミソニアンの悲しむべき降伏に,研究者は、「公共の歴史」のあるべき使命について,真剣な顧慮を払うべきであると研究者の立場から述べている。

第2次世界大戦終結50周年でいえば、
われわれ学者は今、アメリカ人の命を救うのにくわえて、他の多くの要請が、原爆投下の決定に駆り立てたことを知っている。また米軍が,原爆投下から数ヶ月間は、日本に侵略しない作戦でいたことを知っている。さらに原爆が投下される前に,日本が崩壊の淵あったことや、原爆の代替案が考慮され,それが却下されたことも知っている、など述べている。

真の英雄的行為と、恐ろしい行為とを区別することは耐え難いほどに困難だ。いつかはわれわれも、こうした恐るべき曖昧さに正面切って向き合わなければならない。それを公的な機関でやらなければ、正直で開かれた社会であるというふりをするのをやめるべきだろう。それこそが、真の民主主義において戦うに値する「公共の歴史」なのである。

第8章 二つのシステムにおける平和と民主主義ー 対外政策と国内対立

戦後の日本人の学問的、大衆的な議論においては,一方に「平和と民主主義」、他方に国内の「五五体制」があり、国際的な「サンフランシスコ体制」が中央に位置づけられた。

豊かな消費社会、強力な資本主義国家としてあらわれた日本を特徴付けるものは「平和と民主主義」を巡る政治闘争だった。

基本的なことは,サンフランシスコ体制が心理的にも構造的にも日本をアメリカに従属させ,年々遅効性の酸性物質のように,日本人のプライドを腐食させていったことにある。

日本経済は、サンフランシスコ体制ものとで,朝鮮戦争とベトナム戦争が、日本に大きな利益と市場拡大の突破口をもたらした。「新特需」である。

1967年12月、佐藤首相による「非核三原則」が効果的に打ち出された。憲法9条、武器輸出禁止、1976年の「GNP比1%」の防衛予算上限が打ち出されていた。

今、安倍晋三政権によって、これらはなきがごとき状態になってしまいました。明日は参院選挙、改憲派が3分の2を占めそうだと言われています。

ダワー氏はすべての点において、「平和」と「民主主義」という大きな概念が、政治意識の特性を定義していた。戦後初期のもっと想像力に満ちた時代と比べて、遥かに違うものになったように思われた,と語っている。

第9章 惨めさをわらうー 敗戦国日本の草の根の風刺

戦後の初期の歳月に、厄災と敗北に対する日本人の反応と、並外れて多様で溌剌として、創造力に富む(一方で冷笑的で、腐敗して、分裂を孕み、退嬰的でもある)反応が見られた。

特に「いろはかるた」で、ずっと社会的な論評の手段として使われてきた。降伏のわずか数か月後、ひょうきんで辛辣、くだけた口調で駄洒落や内輪の仄めかしを満載した機知に富んだ「いろはかるた」は、民衆表現や気分発散の無数にあった様式の1つであり、勝者の理解の範囲を超えて存在した。

第10章 戦争直後の日本からの教訓

本章は、アメリカの「対テロ戦争」とイラクへの侵略に合せて、9・11の1年後に書かれたものである。

イラクと戦後初期の日本について比較すると、日本の専制主義と軍国主義を排除するにあたって寄与した重要な固有の要因全てがイラクには欠けていることは明白だと述べている。

9・11事件の衝撃にたいして、アメリカ中のジャーナリストや専門家や,日本による真珠湾攻撃を呼び覚ました。

アメリカが日本占領を成功させたことが、イラクにおけるアメリカの建設的役割のモデルになるのではないかと思われた。

アメリカ主導の日本占領は、世界の国々の目には、著しい法的正統性と道徳性を具えていた。日本の軍事力に蹂躙されたアジアの国々もアメリカの同盟国の間でも同様だった。また占領は、日本人の目にも正統性があると映った。

と、日本の占領とイラク戦争のその後の違いを比較している。

第11章 日本のもうひとつの占領

本章では、1930年代の日本と21世紀初頭のアメリカに様々に共通するものが現れ始めたことを指摘する。

政権交替。国づくり。追随国家の創出。戦略資源の支配。国際的な批判への公然たる反抗。「総力戦」への動員。文明の衝突というレトリック。人心掌握.国内外でのテロとの戦争。こうしたすべては,アジアに「共存と共栄」の新秩序をつくろうとした,日本が構想したことがらであり、手法なのだった。

アジアの「解放」は、言葉の上では日本の進軍と矛盾していなかった。日本の宣伝家たちは、「東」と「西」の決定的な衝突という,当時も今も人を引きつける善悪二元論な戯言を持ち出したのだった。

訳者あとがきで、外岡氏は、ダワー氏は日本の軍国賛美の特徴として繰り返し指摘するのは、「日本だけが比類のないユニークな存在」であり、外国人には理解できない「一国例外主義」だ。返す刀で、ダワー氏は、アメリカに根強く潜む「アメリカ例外主義」の虚妄をも白日のものにさらす。と述べている。

しんどい本でしたが、ここまで拙文をお読みくださった方、本書をお読みになってください。

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『あの家に暮らす四人の女』三浦しをん

本書は直木賞作家、三浦しをんの昨年出版された作品。

「謎の老人の活躍としくじり。ストーカー男の闖入。いつしか重なりあう、生者と死者の声―古びた洋館に住む女四人の日常は、今日も豊かでかしましい。谷崎潤一郎メモリアル特別小説作品。ざんねんな女たちの、現代版『細雪』。」

場面は東京杉並区の善福寺川沿いに在る古びた洋館。お嬢様育ちの母親鶴代と、その娘で刺繍の仕事をする佐知、佐知がちょっとしたことで知り合った保険会社に勤務するOLの雪乃と、雪乃の会社の後輩で佐知の刺繍の生徒である多恵美。

どうということのない日常生活の中に、お花見に行ったり、水のトラブルに見舞われたり、元カレにストーカーされたり、泥棒に入られたりといった出来事が起こる。佐知と雪乃はアラフォーで、4人とも独身。一番個性的なのは母親の鶴代。夫はいないが、敷地内に親の代から住む山田さんという男性が庭番のように別棟に住んでいる。

何ということのない日常が丁寧に温かく描かれているが、後半突然2人登場人物が現れる。これらがこの本の語りべなのだが、唐突で、違和感は拭い得ない。あれあれと思っているうちに終わってしまった。

しかし、エンディングはこの作家特有の心地よさで終わる。
「きみたちは見守られている。私に。すでにこの世にはいない多くのものに。知らないだろう。それでいい。きみたちは生きているのだから。」

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『声の娼婦』他 稲葉真弓

作者稲葉真弓は1950年愛知県生まれ、2014年64歳で死去。

稲葉の著書を読むのは、2011年の谷崎潤一郎賞をはじめ各賞を受賞した『半島へ』に続き、2冊目になります。

本書は「声の娼婦」、「私の知っている彼について」、「浮き島」、「魔草」の中短編4編から成っています。 

「ひとり都会に暮らす女たちの様々な心の風景。埋められない孤独と断絶感を抱きながら、都会の片隅にひとり暮らす女たち。結婚、仕事――揺れ動く心のかたちと生きかたを細緻な筆で描く秀作集。」

「ただあなたの耳が欲しい。深夜、ひとり暮らしの男女をつなぐ電話。閉ざされていた女の心が変わりはじめた。現代の女たちを描く作品集。」

声の娼婦
主人公は国会図書館を思わせる巨大な図書館の司書。
都心の歓楽街にあるマンションに引っ越しをした。彼女は5年ごとに何もかも捨てて、引っ越しをする。ある夜中、つながったばかりの新しい電話が鳴り、「銀の葡萄? あなたは耳の女ですよね」と問う男性の声。夜中に声だけでつながる男女。エロティックだが、孤独で静謐で透明な時が流れる。図書館では田舎の庭の砂を本棚の上にそっとピラミッドのように置く男性。

魔草」
親から譲り受けた古いアパートの大家の雛子
「私はたぶん、ありふれた一人暮らしの、どこがどういうこともない時間の中で、とくにあがきもせず、自分をみじめだとも思わず、這い上がろうとも落ちようとも思わず生きていられるたちの人間なのだ」
「それが幸福かどうかはわからない。ただ不幸でないことだけは確かだった。そう思いつつ、自分では想像もしなかった人生に足を踏み入れる瞬間もあるのだ」
「だれも知らない場所に、平然と秘密を植え込む自分がいる。それどころか,魔草と一緒になって闇の中でそよいだ自分を知っているのだ」

ちょっと不思議な本でした。

『日々の光』by ジェイ・ルービン " The Sun Gods" by Jay Rubin

作者ジェイ・ルービンは1941年ワシントンD.C.生まれ。ハーバード大学名誉教授で翻訳家。村上春樹、芥川龍之介、夏目漱石の翻訳家として世界的に有名。本書は著者初めての小説。

460ページの長編ですが、大河ドラマのようなスケールの大きな展開で、寸暇を惜しんで読みました。

第2次世界大戦を挟む激動の時代、根強いレイシズム、宗教の欺瞞、戦争に翻弄されながら、懸命に残酷な時代を生きる人々の愛の物語でもあります。

「日系人収容所で生き別れた「母と子」の、愛と苦悩の運命――戦後七十年、日米両国で注目の長編! 忘れえぬ「母」の記憶を抱いて日本へ――戦争で引き裂かれ、数奇な運命に翻弄される主人公ビル・モートンと「母」光子の愛と苦難に満ちた人生が、戦前のシアトル、戦時下のアイダホ州ミニドカ日系人収容所、昭和三〇年代の東京・九州を舞台に交錯する。」 

原題の"The Sun Gods"は光子が手を合わせ感謝する昇る朝日の神々で、他を排斥するキリスト教の一神教と対比しています。

プロローグで戦後8年経った1953年、第1部1959年、以下、1939年、再び1959年、開戦の年1941年、再度1959年、最終章1963年東京オリンピック直前で終わります。訳者も2名ですが、1959年とそれ以外という分担で、違和感はありませんでした。

1959年、米・シアトル。聖職を目指す大学生のビルは、引き寄せられるように東洋人街の日本レストランなどに通い、そこで働き、日本語を学び、日本で伝道したいと思い始めます。牧師の父トムの猛反対にもめげず、フィアンセもいるのに、牧師とはならず、フルブライト生として来日します。

1939年、母を亡くした幼いビリー(ビル)は初めて会った時から、姉夫婦を頼って渡米した光子を慕いました。光子はビリーのシッターになり、ビリーの父トムより聖書を通して英語を学ぶ。やがてトムと光子は結婚し、光子はビリーを愛おしみ、慈しみます。しかし真珠湾攻撃により、日米が開戦し、在米日本人は財産も失い、強制収容所に送られてしまいます。トムは日本人を憎むようになり、光子は光子と離れたがらないビリーと一緒に環境劣悪の収容所暮らしをすることになります。そしてビリーは父親の元に帰ることになり、光子は一人帰国します。

終戦から15年、ビリーは光子を探すために東大に留学。光子の歌っていた「五木の子守唄」をバーで聞き、光子のふるさとは五木だと思い、九州へ光子を探す旅に出ます。

戦争に振り回された光子の運命はさらに数奇の人生を歩みます。

当時のアメリカ人の日本人感、日系人の収容所の過酷な暮らし、クリスチャンの日本人、敵国人と結婚した出戻りの娘を迎えた九州の田舎、長崎原爆投下下の人々、キリスト教の棄教、子を思う親の愛、母への思慕、これが村上春樹の翻訳者であるアメリカ人の手によって書かれたことにさらに感銘を受けました。

感動的な結末で、この続きをもう少し読みたいと思いました。ぜひお読みになってください。

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『死んでいない者』by 滝口悠生 & お葬式

昨年は喪中のハガキが少なかったのに、年明けから1月、2月と続けてお葬式がありました。一つは58歳でまだ現役で活躍中の男性でした。著名な方だったので、盛大なお葬式でした。遺稿が列席者に配布されました。

先週末、またお葬式がありました。82歳の写真の先生。入院して2日でお亡くなりになりました。最後の写真講評は11月。病気だと伺ってはいましたが、こんなに早いお別れがあるとは思ってもみませんでした。私はご指導を受けてからまだ数年ですが、私たちのクラブは34年になるそうです。亡くなる数日前まで現役でご活躍なさり、長患いもせずにご逝去されました。

先生には奥様、お子さん二人、お孫さんが4人いらっしゃいました。

合掌 お世話になりました。ご冥福をお祈り申し上げます。


今回の芥川賞受賞作品、滝口悠生(1981年東京生)『死んでいない者』もお通夜も集まった家族と幼馴染のお話です。子供が5人、孫、ひ孫もたくさんいます。縁遠くなったいとこや叔父叔母、どういう関係かもう定かではなくなった親類縁者たち。

その人たちが故人を偲んだり、そこに列席している人たちとの思い出を追想したり、未成年が飲んだくれたり、みんなで温泉に入ったり。

子供を二人残して行方不明になった息子。その子たちを育てた故人。引きこもりの男孫。その子も故人の別棟に住むようになるが、通夜の日も引きこもり。アメリカ男性と結婚した孫娘。そんな人たちが通夜に集ってきて飲んでいます。吞んべいの集まるお通夜はこんなものなのでしょうか。

語り手はひきこもりの美之の年のはなれた妹知花のようでもあり、時々他の人の目からもこのお通夜や思い出が語られています。

芥川賞を受賞したということは玄人受けする小説なのでしょうか。

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『異類婚姻譚』 本谷有希子

本書は今期の芥川賞受賞作品です。今回もダブル受賞でした。

著者本谷は1979年石川県生まれ。「劇団、本谷有希子」を主宰し、作・演出も手がける多才人です。芥川賞候補4回目での受賞。本谷は配偶者あり。そして1児の母。

「ある日、自分の顔が旦那の顔とそっくりになっていることに気が付いた。」――結婚4年の専業主婦を主人公に、他人同士が一つになる「夫婦」という形式の魔力と違和を、軽妙なユーモアと毒を込めて描く表題作」

WIKIによれば、異類婚姻譚とは、人間と違った種類の存在と人間とが結婚する説話の総称。世界的に分布し、日本においても多く見られる説話類型だそうです。

登場人物名が全部カタカナで通称のようで覚えにくい。主人公はサンちゃん。
長年連れ添った夫婦って似ているカップルが多く、特に雰囲気が似ている夫婦は仲がいいというのが私の持論です。

家に帰ったら,何にもしたくない、何も考えたくないという旦那で、とろけそうな毎日を過ごしている。そして顔も崩れていって、同化していく。夫婦が、蛇同士が飲み込み合って蛇ボールになるのと同じというちょっと薄気味悪い、背筋がぞっとするような話でもあります。説話、譚って、みんなちょっと不気味なところがありますね。

うちの中であたり構わずおしっこをするキタエ(古いカタカナのエ)のネコ、サンショ。
娘のうちのネコ、ミミもおしっこたれ。かいくんもおねしょもなくなったのに、ミミは相変わらずおしっこたれの様子。治らないとサンショのようになっちゃうよ。。。

あるときから揚げ物を揚げ続ける旦那。
「あなたはもう、旦那の形をしなくていいから、好きな形になりなさいっ」

揚げ物やら、芍薬やら、何やら違和感が残ります???
独創的というか、ヘンなお話なのですから、当然なのかもしれません。

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『サラバ!(上・下)』 by 西加奈子

本書は37歳になるまでの少年の成長記であり、そしてかなり変わった家族の記録でもあり、心の変遷記でもあります。
700ページを超える長編大作です。

著者西加奈子は1977年生まれ。父の赴任先イランのテヘランで生まれ、エジプトで幼少期を過ごす。本書で直木賞受賞。

「サラバ———
その力の途轍もなさに
彼はまだ、少しも
気づいてはいなかった。

1977年5月、圷歩(あくつあゆむ)は、
イランで生まれた。 
父の海外赴任先だ。チャーミングな母、変わり者の姉も一緒だった。
イラン革命のあと、しばらく大阪に住んだ彼は小学生になり、今度はエジプトへ向かう。
後の人生に大きな影響を与える、ある出来事が待ち受けている事も知らずに―。」


美形の両親と娘と息子。美しく、豊かで幸福な(はずの)4人家族。

僕(歩)は出生のときから、「この世界に,左足から登場した。母の体外にそっと、、、」というように、子供ながら目立つことの嫌いで、自分の気配を消して、その場の空気になじむことを特技とする子供だった。母親に似て美しい歩。

一方4歳上の姉は「私を見て」と周囲の目を集めたいばっかりに、奇行に走り、結果周囲から浮いて疎外されてしまう。美しいとは言えない姉。歩は物心ついた頃から、姉を反面教師として目立たなく生きる術を学ぶ。

母親は自分が楽しく、幸せになることに精一杯で、世間でいう母親らしいことをしない。この姉(娘)と母親は小さい時からまさに「相性」が悪く、全く折り合うことすらできず,反目し合う。

父は異国の地で、奇行を繰り返す姉にもおとなしい歩にも愛情を注ぎ、母を愛してきた。ひたすら働く父。

成長するにつれ、姉の奇行は激しさを増していき、母との対立も深刻化していく。この奇行さは半端ではない。どうしてこういう娘になったのだろうか。

カイロで出会ったヤコブとの友情。ヤコブによって世界が広がり、温かい家庭も知る。ヤコブと二人だけの別れの言葉、「サラバ」。元はアラビア語の「マッサラーマ」が「マッサラーバ」となり、「サラバ」が二人をつなぐ魔法の言葉となっていった。

歩が小学一年生のときに移住したエジプト・カイロで1通の手紙が届き、突然解体が始まり、両親は離婚する。帰国後、大阪にある母の実家の近くで暮らすことになる。祖母、叔母,そして近所に住む矢田のおばさん。
歩はサッカー少年となり、高校のサッカー部で、本、音楽にも詳しい、須久という親友もでき、恋人もできます。

ここで上巻が終わります。

著者西加奈子は性別を替え、同じ生年、同じ生地という共通点を持つ主人公を登場させました。歩は、17歳のときに阪神大震災を体験し、姉の貴子は震災によって大きな心の傷を負い、信仰(?)生活を送るようになり、奇行を繰り返すようになります。親友の須久も震災によって学校に来なくなります。歩は東京の大学に進学し、姉弟、母息子、そして須久との距離は遠くなっていきます。

歩は恋人に
「歩は、いつも,頑張っている人のことを見下してる」と言われます。
「いつまで、そうやっているつもりなの?」「僕はその質問から全力で逃げていた」

少年期に出会い、成長期にふれあった人たちと大人になって再会し、歩はまた新しい1ページを歩むのです。

後半まとめ過ぎの感はありますが、壮大で気持ちのいい本でした。アラフォーの人が読んだらもっと心揺さぶられるものがあるのではないでしょうか。

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