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『忘却のしかた、記憶のしかた 日本・アメリカ・戦争』 ジョン・W。ダワー

本書は2013年出版、原題『Ways of Forgetting, Ways of Remembering: Japan in the Modern World』で、外岡秀俊訳です。
オバマ大統領広島訪問に際して、再び取り上げられた本でもあります。

著者ジョン・ダワーは名著『敗北を抱きしめて』でピューリッツァー賞を受賞した日本近代史、日米関係史を専門とするマサチューセッツ工科大学名誉教授です。訳者は元朝日新聞社記者で、小説『カノン』などの著者でもあります。この翻訳本は読みやすいとは言えません。訳者がダワー氏の表現を直訳しすぎたために、時に難解,時に意味不明になって、いろいろひっかかって、読了までにたいそう時間がかかりました。

見返しには「冷戦の終焉、戦後50年という節目に置いて、またイラクやアフガニスタンでの新しい戦争が進行するなかで、日本とアメリカは,アジア太平洋戦争の記憶をどう呼び起こし,何を忘却してきたのかー。
 ポスターや着物に描かれた戦争宣伝や修辞、ヒロシマ・ナガサキの語られかた、戦後体制のなかで変容する「平和と民主主義」、E・H・ノーマンの再評価など・・・。過去をひもとき、いまと対置することで、「政治化」された歴史の多様性を取りもどす、ダワーの研究のエッセンスが凝縮された、最新の論集。
 1993年以降に発表したエッセイ・評論に著者自身による書き下ろしの解題をつける。」と書かれています。

印象に残った文を断片的に紹介すると、そこだけが強調され、本来の作者の意図とずれてくる懸念、心配がありますが、各章ごとに自分の備忘録として少しずつ抜粋,要約をしたいと思います。

それぞれの章はまず「解題」から始まっています。


第1章 E・H・ノーマン、日本、歴史のもちいかた


ノーマンは1956年に駐エジプトのカナダ大使に任命され、米上院公聴会で「信頼できない人物、多分は共産主義者スパイ」と非難され、57年カイロで自殺した。彼は宣教師一家で日本に生まれ日本語にも堪能だった。ハーバード大学院で日本史の博士号を取得。外交官としての職務を果たしながら、封建末期~近代初期の日本についていくつもの論文を書いた。1940年『日本における近代国家の成立』を出版。ノーマンの著作の特長は、「無名のものへの愛着」である。

「1870年代から80年代にかけて起きた「自由民権」運動は(中略)ノーマンの表現によれば、「リベラルな政治的異議の申したて」という日本に土着の伝統(ええじゃないか)をしめす代表例だった」

第2章 二つの文化における人種、言語、戦争ー アジアにおける第二次世界大戦
当時の日米の考え方が,ポスターなど写真入りで紹介されている。

欧米の社会科学者が人種差別的ステレオタイプを広めた。
マッカーサーの司令部の心理戦専門家たちのレポートによれば、言葉のあらゆる意味において日本人は「ちっぽけな人間」(リトル・ピープル)であると説明した。

それは、第一に日本人は未開で部族的であり、儀式を偏重し、排他的な価値観に左右されていると論じた。第二に、日本人の振るまいは、児童や思春期の子どもに関する西洋の理論を使って分析された。第三に、集団としての日本人が、精神的、情緒的に不安定であり,神経症的、統合失調症的、精神病的、あるいは単純にヒステリーであるという議論をした。

人種差別的な考えは、アジアにおける戦争の全ての側に国民の団結をもたらし、殺戮を容易にさせた。

ほとんどのアメリカ人にとって、第二次大戦はいつも、何か特定のものを意識し、ほかは忘れ去るものだった。自由、民主主義、正義といった御旗のもとに、特定の人種の陸海軍と戦うことの偽善性は、ついぞ率直に認められたことはなく、いまはほとんど忘れられている。

戦争の最中にアメリカ人が最も残虐と見做していた敵はドイツ人ではなく日本人であり、アメリカ人戦争特派員のアーニー・パイルは「アメリカ人の全歴史に於いて日本人ほど嫌われた敵はいなかった」と言った。穏健な雑誌も、「なぜアメリカ人はナチスよりジャップを嫌うのか」という表題の記事を載せた。

日本人もまた人種差別主義者であり、白人の敵に対しても、「大東亜共栄圏」に組み込まれたアジア人に対しても、それぞれ違った意味で、差別的だった。

日本人を害虫に擬したのも、元はナチスがユダヤ人に使った典型的な比喩であり、硫黄島では海兵隊が火炎放射器で洞窟にいる日本人を焼き殺すことを「ネズミの巣を一掃する」と表現された。

西洋人が、「非白人や非西洋人は劣等」という理論を支えるためについには疑似科学やいかがわしい社会科学に頼ったのに対し、日本人はその優越性の起源を神話の歴史に求め、神聖な皇統と臣民の人種的・文化的な同質性という優越性の起源を見出した。

日野葦平は「バターン死の行進」の米兵捕虜を見て、「不純な成り立ちによって国を形成し、民族の矜持を喪失した国家の下水道から流れ落ちてくる汚水を見ているような感じを受け、このようなときほど日本の兵隊が美しく、かつ、日本人たることを誇らかに感ずることはない」と言って捕虜を侮辱したが、これはアーニー・パイルが初めて「人間以下Sub-human」の日本人捕虜を見たときの嫌悪感と、ほぼ完璧な一対をなす。

戦時中に浸透した人種憎悪の辛辣さを思うと、降伏後に日米人がこれほどまで迅速に、親身な関係に向かって動いたのは驚くべきことのように思える。

1970年代アメリカが相対的に没落する一方、日本が経済大国になった時、「通商戦争」や「日本円ブロック」など、アメリカのレトリックの中で人間以下の類人猿は、「肉食エコノミック・アニマル」として復活し、日本人のほうでも日本の達成は、「雑種化された」アメリカが決して真似ることも望みえない、「大和民族」の同質性や純潔のお蔭だとした。

第3章 日本の美しい近代戦

第二次大戦をアジアの目から見ると、それは真珠湾のずっと前に戦争は始まっていた。

満州事変、支那事変,それに続く連合国軍との戦争において打ち出された日本の宣伝は、それが自衛のために必要な正統行為であるとするものだった。日本人戦闘員の死者数は200万人、70万人の市民が亡くなった。アメリカ側の死者は10万人、それは欧州戦域での死者数の3倍にあたる。

日本の15年戦争における愛国的な着物などが作られ、優雅に聖戦のイメージで着飾ったものであり、日本以外にこれに相当するもの(文化)は見当たらないという。
当時の絵画や織物には堂々と戦争を美化した作品が多く、意図しないやり方で戦場と銃後を象徴的に結びつけている。

第4章 「愛されない能力」ー 日本における戦争と記憶
この「愛されない能力」という言葉は、第一次世界大戦時、ドイツ人には「愛されない能力」があるというプロイセン将校がの言葉に由来する。1945年6月、渡邊一夫は日本と日本人についてもいえることではないかと日記に書いた。

いまのほとんどの日本人もまた、この15年戦争は侵略戦争だったと認めている。

第4章は次の小タイトルで分けられている。
 1.否定 
日本の戦争犯罪を否定しようとする様々な日本人の集まりがある。この否定されているものは何か。

 2.道徳的(あるいは不道徳的)等価性の喚起
ここでは東京裁判について論じている。

 3.被害者意識
戦後の日本の政治家が、戦時中の侵略行為・残虐行為を認めたがらない。

当時の森喜朗首相は、日本を「天皇を中心とする神の国」と呼び、「国体の護持」という言葉を使い、戦前の天皇崇拝の隠語を甦らせた。一夜にして、彼は日本の「愛されない能力」の最新の化身となった。

彼は今もオリンピックの国歌を巡り、時の人ですね。

東京裁判史観が批判され、勝者のダブル・スタンダードに注意が呼び起こされ、勝者の偽善という意識は歳月と共に強まっていった。インドシナにおけるアメリカの戦争は、残忍さと無益さという点で、日本の残虐な戦争のアメリカ版だったと言えようと論じている。

 4.日米二国間による日本の戦争犯罪の汚点の除去
冷戦が割り込んできたため、純粋に功利的な政治上の理由から、アメリカ人は日本の戦争犯罪の本質と巨大さを隠蔽したのである。
それは、
(1)日本の侵略と残虐行為に対する天皇の認識と責任
(2)731部隊が満州で,少なくとも3000人の囚人に対して行った致死に至る「医学」実験
(3)数万人のいわゆる慰安婦の徴募と事実上の奴隷化。その多くは韓国・朝鮮の若い女性だった。
(4)中国における日本の化学戦の全容

日米の当局者が、望まなかったのは、戦時の虐待や残虐行為に対する補償の要求にさらされて,日本が脆弱なままにおかれることだった。

 5.罪と責任を認める民衆の議論

我々はこうしたすべてのことに基づき、ある種の「貸借対照表」をつくることができるだろうか。多分できるが、それは危うい仕事だろうと述べている。

第5章 被爆者ー 日本人の記憶のなかの広島と長崎

第二次大戦は、アメリカの大衆の意識に「良い戦争」として刻み込まれており、多くの理由から,これは決して変わることがないだろう。

核の惨害と無条件降伏の精神的外傷は、長い間続いていきた日本に特有の脆弱性と被害の意識を強めることにもなった。原爆が戦争の悲劇的愚かしさを象徴するようになるにつれ、先の戦争そのものが根本的に日本人の悲劇と受け止められるようになった。広島と長崎は日本人の受苦の聖像(イコン)となった。

アメリカは原爆を生き延びた人びとに対し,いかなる援助もしなかった。日本政府が原爆犠牲者に特別の援助を始めたのはやっと1952年に占領が終わってからだった。

活字メディアの検閲は1948年遅くに緩められ、出版に道が開かれた。丸木夫妻の絵ヤ被爆者による著作や回想は,原爆について多くを物語っていた。

より大きな政治的な結果は,アメリカ人や他の非占領地の人たちとより3年かそれ以上遅れて,日本人が真に核戦争の恐怖に直面したことだった。

原爆の被害を調べるにつれ、日系アメリカ人や多くの韓国・朝鮮人が死んだことが明らかになる。日本人に搾取され、アメリカ人に焼き殺されたという意味で二重の犠牲者だった。それはすなわち日本人は犠牲者であると同時に迫害者でもあったことが暴露されたということだ。

ほとんどの日本人にとって、他のアジア人に対する戦争は、アメリカ人に対する戦争とは違っており、道徳観においてもっと遺憾なものだった。そして広島と長崎が、この違いについて多くの説明をするのである。

第6章 広島の医師の日記、50年後

原爆の体験に関する英語で書かれた描写で影響力があったのは、ジョン・ハーシーが1946年に6人の原爆生存者へのインタビューをもとに書いた「ヒロシマ」だった。占領当局はその邦訳出版を数年に渡って禁止した。

1950~52年、広島の医師・蜂谷道彦が自ら重傷を負いながら、8月8日から9月末までの間、廃墟になった病院で生き残った職員と患者に焦点を合わせた『ヒロシマ日記』が日本の医学誌に連載された。55年、英語をはじめ、数十カ国の欧州の言語に翻訳された。

この日記は日本人の身にしみる経験であると同時に国家や文化、人種の境界を超えた残忍な戦争の終りに関する記録である。

ほとんどのアメリカ人は、原爆は数えきれない命を救ったと考えたいのだ。
1994年スミソニアン協会は,写真や爆心地からの遺品をふくむ原爆展の主要案を撤回した。しかし、米上院は戦争に「慈悲深い」終結をもたらした原爆について、協会は記念のやり方を誤ったと非難する決議を満場一致で採決した。

ダワーは、原爆がやったことは,決して元に戻せない.我々のただ一つの望みは,それに正面から向き合い、ヒロシマから学ぶことだと結んでいる。

第7章 真の民主主義は過去をどう祝うべきか

政治的圧力と自己検閲の雰囲気のもとで,研究者は第1に,歴史学にどう取り組むのか,その姿勢を一般人々に伝えねばならない。第2に、特別な研究から学んだこととその結論を、より広く知らしめねばならない。第3に、理想的にアメリカの経験を祝うとは何を意味すべきかについて、定義するようつとめねばならない。最後に,スミソニアンの悲しむべき降伏に,研究者は、「公共の歴史」のあるべき使命について,真剣な顧慮を払うべきであると研究者の立場から述べている。

第2次世界大戦終結50周年でいえば、
われわれ学者は今、アメリカ人の命を救うのにくわえて、他の多くの要請が、原爆投下の決定に駆り立てたことを知っている。また米軍が,原爆投下から数ヶ月間は、日本に侵略しない作戦でいたことを知っている。さらに原爆が投下される前に,日本が崩壊の淵あったことや、原爆の代替案が考慮され,それが却下されたことも知っている、など述べている。

真の英雄的行為と、恐ろしい行為とを区別することは耐え難いほどに困難だ。いつかはわれわれも、こうした恐るべき曖昧さに正面切って向き合わなければならない。それを公的な機関でやらなければ、正直で開かれた社会であるというふりをするのをやめるべきだろう。それこそが、真の民主主義において戦うに値する「公共の歴史」なのである。

第8章 二つのシステムにおける平和と民主主義ー 対外政策と国内対立

戦後の日本人の学問的、大衆的な議論においては,一方に「平和と民主主義」、他方に国内の「五五体制」があり、国際的な「サンフランシスコ体制」が中央に位置づけられた。

豊かな消費社会、強力な資本主義国家としてあらわれた日本を特徴付けるものは「平和と民主主義」を巡る政治闘争だった。

基本的なことは,サンフランシスコ体制が心理的にも構造的にも日本をアメリカに従属させ,年々遅効性の酸性物質のように,日本人のプライドを腐食させていったことにある。

日本経済は、サンフランシスコ体制ものとで,朝鮮戦争とベトナム戦争が、日本に大きな利益と市場拡大の突破口をもたらした。「新特需」である。

1967年12月、佐藤首相による「非核三原則」が効果的に打ち出された。憲法9条、武器輸出禁止、1976年の「GNP比1%」の防衛予算上限が打ち出されていた。

今、安倍晋三政権によって、これらはなきがごとき状態になってしまいました。明日は参院選挙、改憲派が3分の2を占めそうだと言われています。

ダワー氏はすべての点において、「平和」と「民主主義」という大きな概念が、政治意識の特性を定義していた。戦後初期のもっと想像力に満ちた時代と比べて、遥かに違うものになったように思われた,と語っている。

第9章 惨めさをわらうー 敗戦国日本の草の根の風刺

戦後の初期の歳月に、厄災と敗北に対する日本人の反応と、並外れて多様で溌剌として、創造力に富む(一方で冷笑的で、腐敗して、分裂を孕み、退嬰的でもある)反応が見られた。

特に「いろはかるた」で、ずっと社会的な論評の手段として使われてきた。降伏のわずか数か月後、ひょうきんで辛辣、くだけた口調で駄洒落や内輪の仄めかしを満載した機知に富んだ「いろはかるた」は、民衆表現や気分発散の無数にあった様式の1つであり、勝者の理解の範囲を超えて存在した。

第10章 戦争直後の日本からの教訓

本章は、アメリカの「対テロ戦争」とイラクへの侵略に合せて、9・11の1年後に書かれたものである。

イラクと戦後初期の日本について比較すると、日本の専制主義と軍国主義を排除するにあたって寄与した重要な固有の要因全てがイラクには欠けていることは明白だと述べている。

9・11事件の衝撃にたいして、アメリカ中のジャーナリストや専門家や,日本による真珠湾攻撃を呼び覚ました。

アメリカが日本占領を成功させたことが、イラクにおけるアメリカの建設的役割のモデルになるのではないかと思われた。

アメリカ主導の日本占領は、世界の国々の目には、著しい法的正統性と道徳性を具えていた。日本の軍事力に蹂躙されたアジアの国々もアメリカの同盟国の間でも同様だった。また占領は、日本人の目にも正統性があると映った。

と、日本の占領とイラク戦争のその後の違いを比較している。

第11章 日本のもうひとつの占領

本章では、1930年代の日本と21世紀初頭のアメリカに様々に共通するものが現れ始めたことを指摘する。

政権交替。国づくり。追随国家の創出。戦略資源の支配。国際的な批判への公然たる反抗。「総力戦」への動員。文明の衝突というレトリック。人心掌握.国内外でのテロとの戦争。こうしたすべては,アジアに「共存と共栄」の新秩序をつくろうとした,日本が構想したことがらであり、手法なのだった。

アジアの「解放」は、言葉の上では日本の進軍と矛盾していなかった。日本の宣伝家たちは、「東」と「西」の決定的な衝突という,当時も今も人を引きつける善悪二元論な戯言を持ち出したのだった。

訳者あとがきで、外岡氏は、ダワー氏は日本の軍国賛美の特徴として繰り返し指摘するのは、「日本だけが比類のないユニークな存在」であり、外国人には理解できない「一国例外主義」だ。返す刀で、ダワー氏は、アメリカに根強く潜む「アメリカ例外主義」の虚妄をも白日のものにさらす。と述べている。

しんどい本でしたが、ここまで拙文をお読みくださった方、本書をお読みになってください。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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コメント

すごい、こんな忘備録書く人はあまりいないだろうと感心しました。

コメントをありがとうございます。

ここ近年、読んだ本の題名、著者名すら少し経つと忘却の彼方に行ってしまうため、「忘却のしかた」は学ぶ必要すらありませんが、ブログが私の「記憶のしかた」となっています。

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