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『晩年様式集 In Late Style』by 大江健三郎 & 横浜市立図書館

ここ数年、横浜市の図書館の本を予約して借りた本を読むことが多いです。買うとちょっと面倒な本は後で読もうと積ん読ことになり、時期を逸して、そのまま放置されてきました。図書館の本は期日までに頑張って読んできています。

横浜市では6冊本の予約ができます。いわゆるベストセラー本は1年待つこともしばしば。それなのに来る時にはどういうわけか2〜3冊同時に回ってきて、読めずに返すこともあります。

この『晩年様式集』も他の本と同時に届き、本書3分の1読んだところで期日が来てしまい、返却しました。でも、やはり最後まで読みたくて再度予約したので、3ヶ月ぐらい空いてしまいました。もう一度最初から読めばよかったのですが、今回も3冊届いたので、続きから読み始めました。

本書「晩年様式集』は大江が「これが最後の小説」と言った何度目かの最後の小説です。学生時代に大江の初期の本はだいたい読みました。結構初版本が私の書棚に並んでいます。間がずっ〜と抜けて、最近では前作『水死』を読みました。


さて、大江は本書をどんな読者に向けて書いたのだろうか。大江ファンに向けて?大江研究者に向けて?それとも知識リベラル層に向けてなのだろうか。私には一般の読者に向けて書いた本とは思えませんでした。とにかく、論文じゃないので脚注がないため、昔読んだ本などほとんど覚えていない私には分からないことだらけでした。

大江の今までの本(特に私小説に近い長江古義人が主人公になっている本)が、頭に入っていないとつながらないのです。それにいろいろな作家、哲学者の引用もあり、難しい原語やカタカナ語も多く、難解なところが多かった。。。いつもの読みにくい文体に加え、いろいろな人が「私」となるので、中断すると誰の台詞なのか分からなくなってしまい、読了に時間がかかりました。

それでも最後まで辿り着いたのはやはり本書にそれだけの魅力があるからなのです。そして希望の兆しの感じられる終わり方となっていて、それで結んだ大江とともに、読者(私)も明るい光明を感じました。

本書は2011年3月11日後、2012年1月号より2013年8月号まで「群像」に連載されたものです。「おそらく最後の小説を、私は円熟した老作家としてでなく、フクシマと原発事故のカタストロフィーに追い詰められる思いで書き続けた。しかし70歳で書いた若い人に希望を語る詩を新しく引用してしめくくったとも、死んだ友人たちに伝えたい。」という。

「前口上として」で、エドワード・サイードの遺言「In Late Style」に「晩年様式集」とルビをふってタイトルがつけられたという。

私(古義人[大江])は「3.11後」大きく動揺していたが、ようやく『「晩年様式集」+α』 」という私家版の雑誌を作り始めた。今まで私の小説に書かれてきた女たち3人、すなわちアサ(彼らが生まれ育った「四国の森のへりの谷間」に今も一人住む妹)と千樫(十数年前に自ら命を絶った幼なじみの映画監督の妹でもある妻)と真木(気丈さと時にうつになる長女)は「三人の女たち」として、「私」の今までの小説に対する反論を送ってきた。私は自分の文章とその反論を合わせて私家版の雑誌を作ることにしたのである。

一方、「私」の幼馴染みのギー兄さんの息子であるテレビ番組プロデューサーのギー・ジュニアがアメリカからやってきて、その研究対象として自らの父ギー兄さん、自殺した映画監督・塙吾良[伊丹十三]。そしてその証言者として「私」のインタビューを記録し始める。

アサと真木は、四国の森のへりで、生まれもった障害のある息子アカリ[大江光]との共同生活をはじめる。そして東京に残った「私」も妻千樫の発病を機に真木が上京し、代わりに四国の森のへりで、アカリとの共同生活を始める。

老作家自身が作中で明確に断っているように、これはいわゆる「私小説」ではないのだが、主人公長江古義人の本のタイトルはそのまま大江の本のタイトルである。

「僕の年齢認識の変化はこうなんだ。僕は間近に迫っている80歳を基準にする。定点とする。こういいながら僕は塙吾良
が、かれの人生の終わりの始まりを60歳として定点化したのをしたのを思い出すけれど・・・・ともかく自分の定点から逆算して、あと3年、2年と生きているいまをとらえるということです(後略)
こう言って大江は定点までの3年を「ゆっくり急げ」で、反・原発運動に力を注ごうとしているのか。

大江70歳のときの詩の最後は大江の母の言葉で結ばれる。これが最終章のタイトルでもある。

「私は生き直すことができない。しかし私らは生き直すことができる」

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