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The Catcher in the Rye キャチャー・イン・ザ・ライ by J.D. サリンジャー、村上春樹訳

旅行記を中断して、

大学時代に読んで以来の再読です。以前読んだのは『ライ麦畑でつかまえて』(野島孝訳)です。

「J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として40年ぶりに生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。」と書かれています。

読んでみたら、漠然とした印象以外、ほとんど覚えていませんでした。若い時に読んでよかった本を再読して、再び感動することは滅多にありません。この本もそうでした。

主人公のホールデン・コールフィールドは17歳、彼は西部の病院で療養中で、1年前の16歳のクリスマスの顛末をズルズルと語ります。ホールデンは読書は好きだけれど、勉学意欲がなく、単位を落として、クリスマス前に4校目のペンシー校も退学するとになります。

彼は学校を去る前に歴史教師のスペンサー先生に別れの挨拶に行くが、そこでもうんざり。ルームメイトとも喧嘩になり、学校を追い出される前に出て行くことになりました。

ニューヨークへ向かいますが、会う人出来事、すべて気の滅入ることばかり。気にいる人も気に入る出来事も滅多に起きない。ホールデンはタバコを吸い、酒を飲み、ホテルで娼婦を買うのです。なんたる16歳。でも、不良というわけではなく、自意識過剰の青春期の真っ只中。この世の中とうまく折り合いがつけられないし、つける気もない。

そんな彼の独白が続きます。

小さな子供が If a body catch a body coming through the rye と歌うの聞いて、ちょっと晴れ。女友達を呼び出して、演劇を見たり、スケートをしたりしても、うまくいかず、ますます気が滅入ることばかり。嫌なやつばかり。

そんなホールデンの大好きな妹、フィービーに会うために、親にわからないようにこっそりうちに帰ります。ホールデンはフィービーに
「でもとにかくさ、だだっ広いライ麦畑みたいなところで、小さな子供たちがいっぱい集まってなんかのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千もの子供たちがいるんだけど、他には誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは1人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで、僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立ってるわけさ。で、僕がそこでなにをするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからをつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走って行く子供なんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。たしかにへんてこだとはわかっているんだけどね。」と話します。

その翌日、別れを告げるためにフィービーにもう一度会い動物園に入る。フィービーは回転木馬に乗り、雨の中でそれを見たホールデンは強い幸福感を覚えるのです。

若い時期は神経をピリピリさせ、自分なりの正義と美意識から周りの人や物事に憤りを感じ、生きにくさを感じて大人になっていきます。そんな時代に読んだので、お気に入りの本の1冊となったのでしょう。

そんな本ですらほとんど覚えていませんでした。そしてホールデンの饒舌さにうんざりしながら読み進めていきました。

****
写真の整理が終わったら旅行記の続きを書きます。ちょっとたるんでいます。
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テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

ネパール旅行 (4)チャング・ナラヤン&バクタプル

1月15日
パタンのホテルで1泊し、翌朝ホテすぐそばのゴールデンテンプルとヒンドゥー教クンベシュワール寺院を訪れ、朝食後にバクタブルへ行くことになりました。天気は晴れ。

ネパールのほぼ中央にカトマンズ盆地があります。盆地内に首都カトマンズ(100万人都市)、その南に私たちの宿泊ホテルのあるパタン、それから今日行く古都バクタブルがあり、ネワール文化が残されています。そのどれにもダルバール広場と旧王宮があります。

まず、パタンから北東へ車で約1時間、バクタブルの北に位置するチャング・ナラヤンへ行きました。ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀ってあるネパール最古のヒンドゥー寺院です。標高1541mのところにあります。

チャング・ナラヤン
門前町の参道には土産物屋が並んでいます。
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チャング・ナラヤン寺院
寺の開基はリッチャヴィ王朝の323年、現存のは1702年に再建されたもの。観光客も少なく、とても静かでした。
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ガルーダに乗るヴィシュヌ神(宇宙維持神)
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ネパールのカレンダーと数字
ご覧のように1は9によく似ています。11日はどう見ても99に見えます。お札もそうで、外国人は混乱します。

このカレンダーはグレゴリオ暦ですが、ヴィクラム歴という独自の暦も持っています。太陰太陽暦で、1年の初めは4月中旬です。ですから新年は4月中旬から始まります。伝統行事はこの暦に則って行われているそうです。多民族国家で民族独自の暦もあり、ネワール族のネパール暦、チベット族のチベット暦もあるという。
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赤茶色のの煉瓦造りの建物が並んでいます。
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2階の窓から顔を出す人々
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仮面の並ぶ店先
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バクタプルに移動しました。車で30分南にあります。鉄道のないネパールではバスと飛行機が移動手段ですが、道路事情がよくないので、十数キロ走るのに1時間近くかかります。車も揺れに揺れ、埃が舞い上がります。

赤茶色の街バクタプル ここは映画「リトルブッダ」の撮影に使われた街だそうです。
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バクタプルの陶工広場
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ダルバール広場のゴールデンゲートをくぐると王宮に入ります。
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55の窓 窓枠の細工が見事です。
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昔の沐浴場
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トウマディー広場に立つ五重の塔 ニャッタポラ寺院 高さ30m
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芸術の街で木彫りの彫刻、特に窓の装飾が素晴らしいです。
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孔雀の窓 羽を広げた孔雀の周りに小さな鳥が35羽。ネワール工芸の最高傑作と言われています。
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バンティプルの街の様子
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再建中のお寺
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バンティプルでお祭りがありました。これについては後日アップします。

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (3) パタン ゴールデンテンプル&クンベシュワール寺院

今回の旅行はマレーシア航空で行ったため、クワラルンプールでトランジットしました。10時10分に成田を出発し、カトマンズに着いたのは22時30分。時差が3時間15分ありますから、クワラルンプールでの3時間を含め、15時間以上かかったことになります。

宿泊したゲストハウスはカトマンズの南、世界遺産パタンにありました。「ネワール族の文化と芸術を継承する美の都」と言われています。ここは中世マッラ3王国の首都が置かれていた街です。

これがネパールの国旗です。方形ではない珍しい国旗です。
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ホテルから路地を歩いて数分のところに仏教寺院のゴールデンテンプルがありました。建立は12世紀、現在の建築物は18世紀のものです。どこも精巧な細工が施されていました。

黄金の象の前で祈る男性
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祈る男女
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早朝より大勢の人が参拝に来ていました。
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鳩が舞いました。
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中庭周囲の建物の2階から 光って見えるのは信者が買って捧げるバターランプ。
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ゴールデンテンプルのすぐ北にあるヒンドゥー教寺院、クンベシュワール寺院、14世紀末のシヴァ神を祀る寺院。五重塔は修復中でした。後日ここで七五三のような女の子の祝いに出くわしました。

お堂を囲んで僧侶たちがそれぞれアサーナを敷いて、座っています。まるで手相見か占い師のように見えました。信者がマントラを唱えながら、食べ物やお花を捧げ、ティカ(おでこのマーク)を受け、祈ります。
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ティカを受ける女性 私も赤や黄色のティカを何度か受けました。その日はつけたまま過ごしました。
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祈る人々
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信仰が日常的で、まさに祈りの国でした。

街の様子
このこんがらがったような電線、事故はないのでしょうか。
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若い尼さんたち
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路地を物売りがリヤカーや自転車を引っ張ります。
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干してあるのはトウモロコシ
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街を歩く兵士たち ナマステと声をかけたら手を合わせてくれました。 
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テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (2)

やっと写真の整理が3分の1終わりました。

まず写真の前にネパールについて、ネパールで感じたこと、知ったことを忘れないうちに、頭に浮かぶままに綴りたいと思います。
文字ばかりですみません。


ネパール概略
ネパール連邦民主共和国というのが正式な国名です。ネパールは中国、インドという超大国に挟まれた、ヒマラヤ山脈を背にした小国です。植民地になったことはありません。それがネパール人の誇りのようでした。高く神々しく聳え立つヒマラヤ山脈がそれを守ったのでしょうか。

世界最強の傭兵といわれるグルカ兵はこのネパールから生まれました。。ヒマラヤの山々が鍛え上げた男たちが、今も世界中の戦場でグルカ兵として戦っているのは、やはり貧しいからなのでしょうね。ネパールは内陸国なので、海軍は持たずArmyで、志願兵制を取っています。街の至る所で軍人さんを見ました。人口比はかなり高そうです。

2001年に王宮でビレンドラ国王一家9名が惨殺されたニュースを覚えています。未だ真相は憶測の域を出ず、親インドの王弟が親中の国王を抹殺した宮廷クーデターとの説もあるそうです。この事件によって王室の権威は失墜し、2006年、国王の特権は全て剥奪され、2008年、制憲議会で共和制が議決されました。

現在ガイドのRさんの話では有力3党以外に小政党が100もあって、政府が機能しておらず、国民の多数は王政復古を望んでいるそうです。「民主共和国」とはいえ、「民主化」への道のりはまだまだ遠そうです。


ネパール人、ネパール語について
多民族国家で、色々な顔の人がいました。バルバテ・ヒンドゥー(インドから来た多数派でカーストに分けられている。各カーストは専門の職業を持っている。ネパール語が母語の人たち)、北インド系南部低地民、チベット・ビルマ語系山地民(グルカ兵はこの中の民族)、ネワール(ガイドのRさんはネワールのサカ族の仏教徒)、チベット系高地民など。
チベットの難民キャンプもカトマンズとポカラの2カ所にあり、ポカラのキャンプを訪問しました。

職能別カーストがあるからか、職人さんが多く、仏画、曼荼羅などの細密画、仏像(木、石)、織物など芸術作品が多く見られ、売られていました。街角の塀もアートで飾られていました。

ネパール語も民族に応じて複雑だそうです。公用語は北インドのパハリー語を母体とするネパール語です。ヒンディー語と同じデーヴァナーガリー文字で、文法は日本語とよく似ています。寺院で、古都で、マーケットで何回も流暢な日本語で話しかけられました。ガイドのRさんより上手な人がたくさんいるようでした。

ネパール人は人懐っこい人が多かったです。私はナマスとダンニャバード(ありがとう)の二つの言葉だけしか覚えれませんでしたが、この挨拶で、にこっと写真を撮らせてくれ、逆にありがとうと答えてくれました。


ネパールの宗教
ネパール人は老若男女、信仰心が厚いです。(日本でも神社仏閣は観光客で混んでいて、お賽銭を入れて祈っているので、はたから見れば信仰深く見えるでしょうか??)

ネパールは長らくヒンドゥー教を国教としてきましたが、2006年まで世俗国家に転換しました。ヒンドゥー教徒が80%を占めるそうです。毎日ホテルの近くのヒンドゥー教のクンベシュワール寺院に行きました。朝早くからサリーを着たおばあさんが祈りを捧げに来ていました。じっと祈るのではなく、祈りの所作があるようで、次々とマニ車や柱、鴨居などを触り、その指を自分のおでこへ持っていきながら、歩きます。

ホテルのそばにあったゴールデンテンプルは仏教寺院です。上座部仏教(小乗仏教)です。チベットからの人も多いので、チベット仏教も見られます。ネパールでは仏教、ヒンドゥー教間宗教に諍いはないという話でした。
先祖崇拝も見られ、ネパール仏教にはカースト制もあり、私には全て混然としているように見えました。Rさんによれば、「全然違うよ」ということでしたが。


気候について
カトマンズ盆地では、日が落ちると同時に急速に冷え込む盆地気候ですが、家々ではほとんどエアコンはないようです。最高気温は15〜20度ぐらい、最低気温は5〜1度ぐらいだったと思います。私たちが泊まったゲストハウスもエアコンがなく、電気敷毛布しかないので、ダウンを着たまま、ベッドの上で腹ばいになって、持っていったMacに撮影した写真を取り込んだり、メールを書いたりしていました。日中は家の前や公園でひなたぼっこをする人々があちこちで見られました。日中の日差しは東京より強く、汗ばむほどでした。

ネパールでは2015年4月25日に大地震に襲われ、9000人近い人の命が奪われました。復旧が遅れていています。世界遺産も日本のJICAや中国の資金援助により、どこも工事中でした。町や村ではまだまだ瓦礫のまま放置された家々がたくさんありました。
それに、乾季の埃っぽさが加わり、旅行中マスクが外せませんでした。

首都カトマンズはカトマンズ盆地にあり、移動中に段々畑や棚田がたくさん見られました。農作業の大変さがしのばれます。新鮮な果物、野菜を売る人々をどこでも目にしましたが、冬の1月のためか、残念ながら農作業は見られませんでした。


労働について
他のアジアの国々同様、ここでも早朝から女たちはよく働いていました。

訪問したレンガ工場では女たちが中心になって、埃まみれになって重いレンガを担いでいました。日本なら重機がするような重労働です。彼らは家族で敷地内の掘っ建て小屋で暮らしていて、子供や乳幼児もたくさんいました。彼らは就学していないのではないかと思われました。 Rさんの話ではインドや地方からの出稼ぎ者が多いそうです。

それから帰りの飛行機で30名ぐらいの20代男性のグループと一緒になりました。ネパールの青年たちで、これから全員韓国の仁川で5年間働くのだそうです。韓国語も勉強したと言っていました。日本の技術研修生のようなものでしょうか。皆真面目そうな青年たちでした。カトマンズに出稼ぎに来る人、出稼ぎに出る人、いろいろ。。。


教育について
色々な村々に立ち寄りましたが、子供たちがよく勉強をしているのが印象的でした。

パタンの私立学校を見学しました。そこでは英語による各教科の授業が行われていました。理事長さんが各クラスを紹介くださり、丁寧に説明してくれました。ネパール語の授業もありましたが、英語教育が自慢のようでした.。将来ネパール人のアイデンティティの確立に問題は起きないのないでしょうか。国際化時代に小国が生き残りをかける道として正しいのでしょうか。高学年になるとかなり難しい英語のテキストを使っていました。大学教育は全て英語で行われているそうです。日本で出会ったネパール人留学生たちは英語がよくできたのを覚えています。

公立より私立の方が人気があるようです。基本的にどちらの学校も、1年生から10年生までの10年制。低学年から落第のシステムがって、テストの点次第で進級できません。10年生の終わりには、全国統一の学力テスト(SLC)があり、これに合格しないと11年生には進めないそうです。

訪問時、10年生は試験に出かけているとのことで、教室は空っぽでした。SLCを合格してはじめて11&12年生のための学校に行き、その後で大学に進学します。(Rさんの話では首都圏では大学進学率が80%を超すという話でしたが、日本でそのデータを見ることはできませんでした)


カトマンズの町について
カトマンズの南へ30分、古都パタンのゴールデンテンプルのすぐそばにあるゲストハウスに7泊しました。朝夕、毎日街歩きをしました。まだまだ被災の傷跡が残っていました。どこも狭い道で迷路のよう。どの道も水汲み場とストゥーパのある広場に繋がっています。似たような広場や瓦礫の山があちこちにあるので、迷ってしまい、何度も道行く人に「ゴールデンテンプルはどこ?」と聞いて、ホテルに戻る始末でした。帰国する頃になってやっとホテル周辺の地理がわかってきました。


食事について
旅行中の食事はほとんど中華で、夜2回ネパール料理がありました。旅行中、1回「だんらん」という日本料理屋で食事をしました。日本人の経営の店で、美味しかったです。朝ごはんはホテルでコンチネンタル。中華料理は店は違えど出て来る料理はなぜか似たようなお皿でした。ほとんどの料理が油で炒めてあるので、胃が疲れ始めていて、ネパール料理が出て来る頃には胃が重く、あまり食べられませんでした。

フレッシュジュース、ヨーグルト、ビールが美味しかったです。

どの店でも食事の前にコップでホットウォーターが出てきました。飲み水はそのままでは飲めず、ペットボトルの水を飲みましたが、ボトルは1リットル以上なので。小さいボトルを持っていけばよかったと思いました。

旅行中や帰国後下痢をした人もいました。


動物について
仏教寺院、ヒンズー寺院、王宮、どこも鳩がいっぱい。一斉に飛び立つときは壮観でした。猫は室内にいるそうで、ほとんど見ることはありませんでした。犬はおとなしくて、そこら中でウロウロしたり、のんびり寝たりしていました。牛や山羊が街中で寝そべっているのも見ました。さたくさんの猿のいるサル寺(スワヤンブナート)にも行きました。

今回は行かれませんでしたが、サファリ国立公園があちこちにあって、インドサイ、ベンガルトラなどいろいろな野生の動物が見られます。


服装について
若い女性はみんなレギンスのような体の線の出る、ぴったりしたパンツをはいていました。スタイルがいいので、とてもよく似合っていました。ガイドブックにはサリーを着る人は減ったと書かれていましたが、年配の女性はほとんどがサリーや布を巻きつけた服装をしていました。

ネパールはとても興味深い国でした。まだまだ見ていないところがたくさんあます。復興の様子、子供達の様子など気になるところがたくさんあります。再訪したい国の一つとなりました。

写真が整理でき次第、アップしていきたいと思っています。

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