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『千の扉』 柴崎友香

またまた続けて女性作家、柴崎友香(1973年大阪生まれ)の『千の扉』の紹介です。柴崎は1999年作家デビュー、2014年『春の庭』で芥川賞受賞。私は初めて読む作家です。

「39歳の千歳は、親しいわけでもなかった一俊から「結婚しませんか?」と言われ、広大な都営団地の一室で暮らし始める。その部屋で40年以上暮らしてきた一俊の祖父から人捜しを頼まれ、いるかどうかも定かでないその人物を追うなかで、出会う人たち、そして、出会うことのなかった人たちの人生と過去が交錯していく……。」

場面は、具体的な地名や名前は出てきませんが、早稲田大学そばの、戦後1949年に旧陸軍跡地に建てられた巨大団地、都営戸山ハイツだとわかります。新宿から徒歩圏の広大な敷地に高層(14階)、中層(5階)からなる35棟が並んでいます。世帯数は3100以上です。本書にも書かれているように敷地内に通称箱根山と呼ばれる小山もあります。本書の『千の扉』はこの団地の玄関ドアでしょう。

住民の半数は65歳以上で、本書の義祖父の勝男と同様の、80歳以上の独居老人も多いそうです。一人になり、こんな便利なところにあれば、引っ越したくないだろうと思います。出て行った子供達が戻ってきて同窓会のように集まる姿は、田舎の限界集落のようです。防空壕のようなトンネルの入り口があったり、近くで人骨が発見されたりして、先に読んだ恩田陸の『失われた地図』を連想しました。そこには新宿区は出てきていませんでしたが。

著者柴崎も15歳まで大阪の似たような団地で育ったと語っています。どこも似たような間取りだったようです。主人公の千歳がこの団地の住人義祖父の日野勝男が骨折して入院し、元気になって戻るまでの8ヶ月間に出会った人々を描いています。

好奇心旺盛な主人公千歳は勝男に頼まれた高橋さんを探して団地内を彷徨います。団地内にいるのかいないのかもわかりません。この高橋さんは誰なのか。勝男の娘圭子の回想も加わります。夫一俊の中学時代の友人、中村直人、枝里兄弟、千歳がアルバイトする団地内のスナック?「カトレア」の女主人あゆみ、団地の中学生メイ。

くるくると場面人物が変わり、時代も変わってしまうので、間をおいて読むと分からなくなってしまいます。。。最近こういう書き方が流行っているのでしょうか。ここ3冊続けてこういう本を読みました。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

「百年泥』 石井遊佳

引き続き、芥川賞ダブル受賞作のもう一点の石井遊佳(1963年大阪生まれ)の『百年泥』です。

この石井遊佳さんと若竹千佐子さんは同じ師について小説を勉強していたそうです。その師の名は「海燕」の元編集長の根本昌夫さん。二人の小説の舞台は全く違うものの、現在といろいろな時期の過去が入り混じっているところがよく似ていて、ともにわかりやすいとは言えない構成になっています。

本としてはこの「百年泥」のほうがまだ読みやすかったです。舞台は混沌とした南インドのチェンナイ、主人公「私」はそこのIT企業で日本語を教えている日本語教師。作者石井も南インド在住の日本語教師だそうです。

「私はチェンナイ生活三か月半にして、百年に一度の洪水に遭遇した。橋の下に逆巻く川の流れの泥から百年の記憶が蘇る! かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。流れゆくのは――あったかもしれない人生、群れみだれる人びと……」

男に名義を使われ、多重債務者となって、やむなく泣きついた元夫より紹介されたのがこの南インドでの日本語教師の仕事。

インドの現状?や文化が紹介されています。

スクーターに乗るとき、スカーフで頭部をぐるぐる巻きにした上にサングラスをかけた月光仮面と化す女性たち。名状しがたい悪臭、ラッシュ時の想像を絶する混乱を避けるため、飛翔して通勤するエグゼクティブ。

細部はリアリティがあるので、私も作者の罠にはまって、飛翔するのはどんな乗り物かユーチューブを調べてしまいました。百年泥からはあり得ない話が発掘されます。それも大阪人のユーモアなのでしょうか。

私は南インドにはいったことがありませんが、18年前に北インドを友達と回りました。想像を絶するカルチャーショックを受けました。インドは南北で文化が違うと聞きますが、一部の場所の悪臭、混沌は共通しているようです。それに私もインド人に日本語を教えていたことがあるので、彼らの日本語の誤用やくせがよくわかります。母語に干渉された間違いなのです。

「私」は無口で愛想がない。借金返済のために日本語教師になり、時にうまく授業が進めなくなる教師ですが、生徒の助けを利用して、教え方もなかなか上手です。

チェンナイ生活3ヶ月半にして、100年に一度の洪水でアダイヤール川の堤防が決壊してしまいます。洪水3日目に、住んでいるアパートと川をはさんで対岸にある会社で仕事をするために、水が引いた後の、恐ろしく混雑した人に溢れ、悪臭のする橋を渡ります。その数十分間に「私」の頭を去来する出来事があちこちと時代も場所も飛びながら進んでいきます。

「私」はこの橋で、日本語の生徒、デーヴァラージに出会います。優秀だが扱いにくい生徒で、デーヴァラージは交通違反の罰則として、橋の清掃の労務を科せられているのです。カースト上位の子息が多いこのIT企業で、デーヴァラージは地方の村々を巡回して熊と相撲をとっていた父親と一緒に旅をして育ったのです。彼は投げ銭を拾い集める係でした。

「私」は日本語の授業の中で、デーヴァラージのそんな話の誤用から、職業を表す「〜ています」を「相撲をとっていました」、やりもらいの「〜てくれます」を「お金を入れてくれました」と導入します。なかなかいい導入の仕方です。

掻き出されるゴミの中から、「私」もまた、自分の過去 ー 元夫との別れのいきさつを象徴する「サントリー山崎12年」や、極端に無口だった母を思い出す「小さな、古ぼけたガラスケースのようなもの」や「大阪万博のメモリアルコインペンダント」を見つけていきます。

中学生時代の無口な友達、誕生日に近くのおばあさんがプレセントしてくれた運動靴。

「私」の頭を去来する日本語教室の授業からインドの文化が紹介されています。

「私にとってはるかにだいじなのは話されなかったことばであり、あったかもしれないことばの方だ。この世界に生れ落ちてから、ついに『なぜ』が私を見つけだす以前の、二度ともどらない母との無音の時間の方だ」

一気に読む時間がない読者にはわかりにくいですが、小説としての組み立てが実に上手だと思いました。次作を読んで見たいです。

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