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『リチャード三世』シェークスピア 訳 木下順二

今日はちょっと旅行記を中断して、シェークスピアです。

このところ、なぜかシェークスピアづいています。9月末に「ハムレット」のお芝居を見ました。1月に朗読劇「間違いの喜劇」の切符を手に入れました。(小田島雄二訳で、小田島先生が解説をなさいます)

そして、先日英語の会で「Shakespeare Explains the 2016 Election」という記事を勉強しました。米選挙結果がでる前のNewYork Timesの10月8日発行の記事です。

シェークスピアは15世紀薔薇戦争の時代の英国王、残忍で知られたリチャード三世を取り上げ、いろいろな人物を登場させています。

記事のライターはStephen Greenblatt氏で、この登場人物を、何もせず黙認する人(enabler)を5つに分類し、投票を呼びかけています。

そして、"Not speaking out-- simply not voting--is enough to bring the monster to power."
"Do not think it cannot happen, and don not stay silent or waste your vote"
と結んでいます。

その後で次期米大統領はドナルド・トランプと決まり、今、世界中でどうしてこういう結果になったのか分析が行われています。

英語文中にリチャード三世からの会話が挿入されておりました。前後関係もわからないその台詞はわかりにくかったです。原書は読めないので、訳本を読んでみることにしました。

戯曲なのですぐ読み終わるだろうと思ったのに,とんでもない。登場人物は王も王妃のせりふは格調高く、あまりにも雄弁で、芝居がかっていて(芝居ですが)読みにくい。

主な登場人物(ネットより引用)

<ヨーク家:白薔薇>
・リチャード:主人公。ヨーク家の三男。狡猾で残忍な性格。生まれつき奇形。
・エドワード四世:王様。ヨーク家の長男。リチャードとジョージの兄。
・ジョージ:ヨーク家の次男。リチャードの兄、エドワード四世の弟。
・王妃エリザベス:エドワード四世の妻。
・エドワード王子:皇太子。エドワード四世と王妃エリザベスの息子。
・エリザベス姫:エドワード四世と王妃エリザベスの娘
・バッキンガム公:リチャードの腹心

<ランカスター家:赤薔薇>
・ヘンリー六世:ランカスターの王。
・マーガレット:ヘンリー六世の妻。
・アン:ヘンリー六世の王子エドワードの妻。その後、リチャードの妻。
・リッチモンド伯:リチャード三世を倒し、のちにヘンリー七世。

なんせ名前が同じでちょっと間が空くと人間関係がわからなくてなってしまいます。
戯曲はやはり読むものではなく、耳で聞くものと痛感しました。読むと台詞に強弱、間がありません。時に、大事な台詞が流れていってしまいます。それに舞台なら登場人物は衣装も着ているし、それぞれの役を演じているので、それらしい台詞回しもありましょう。

200ページ余りの本でしたが、なかなか難解でした。大統領選でシェークスピアを引用する教養には脱帽ですが、日本だったら、シェークスピアに相当する作家は誰でしょうか。もっと前なら紫式部?いやいや源氏はとても引用などできません。時代が下りますが,漱石ですかね。

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イスラエル旅行 8 再び旧市街

10月29日 夕方

エルサレムは標高800mにあります。日中は結構暑いのですが、木陰に入れば涼しく、朝夕は羽織るものが必要なくらい寒暖差があります。

今回の旅行で知ったユダヤ教についてちょっとメモ

ユダヤ教を信仰している人には習慣文化としている人たち(世俗派)やキッパ(丸い小さなお皿のような帽子)をかぶっている保守派がいますが、基本的に戒律を守っています。613の戒律(ミツヴァ)があります。

金曜の日没から土曜日の日没までは安息日(シャバット)なので、仕事をしません。ですからバスもほとんどの店も休みとなります。

ユダヤ教では、食べてよい食物と食べてはいけない食物を定めています。イスラム教より厳しいと言われています。この律法のことをヘブライ語でカシュルート(適正食品規定、食事規定)といい、食べてよい食物のことを一般にコーシェル(KOSHER)といわれます。

コーシェルではない食べ物に豚肉、エビ、カキ、タコ、イカなどがあります。チーズと肉を一緒に食べてはいけません。

服装では超正統派は小さいお皿のキッバの上に山高帽をかぶり、長いコートのような黒い服を着ています。男の子は3歳までは髪を切らず、そのあとはもみあげ以外を切ります。

正統派は山高帽に普通の背広を着ています。山高帽は外出用だそうです。

ユダヤ教では女性は独身時代は顔を隠すこともありません。超正統派、正統派の人と結婚した女性は髪を隠しています。剃ってカツラを被っている人もいるそうです。ストッキング、長めのスカートをはき、顔と手以外は出さず、地味な服を着ています。


さて夕方再び旧市街に戻ってきました。ダマスカス門から入って、イスラム地区を歩きました。
がらっと雰囲気が変わります。イスラムのベールをかぶった人が行き交い、写真を撮られるのを嫌がる女性が多いです。

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キリスト教地区へ戻り、ゴルゴダの丘に建つ聖墳墓教会に三たびやってきました。

きれいなネコちゃん 古い建物によく似合います。
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外観
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キリストが処刑された地点と言われ,ヴィア・ドロローサの最終塁となっています。
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祈る人々
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ホテルへの帰り道 シスターたち

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この日の夜中の0時から冬時間になりました。それで時計を一時間遅らせました。日本との時差は7時間となりました。これが帰路イスタンブールで飛行機に乗り遅れ、アタチュルク空港で24時間滞在することになった原因です。空港で時計を修正する必要があったのに、添乗員をはじめ誰も気がつかなかったのです。

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イスラエル旅行 7 エルサレム 新市街

10月29日 

早朝旧市街散策をしたあと、サラダ中心の朝ご飯を食べ、ジュースをたくさん飲みました。イスラエルは野菜が豊富です。(野菜好きにはよかったのですが、そうヴァリエーションがなく、滞在中ずっと同じようなものを食べていた気がします。)

9時、徒歩でアルメニア人地区を通って、ユダヤ人が多く住むという19世紀の住宅街、新市街へ行きました。

ブランド店が集まっている、お洒落できれいなショッピングモール(マミラモール)です。各店舗の隅には街の彫刻家の作品が並んでいました。
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街角でトランペットを吹く男性
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こんなモダンな街を超正統派の服装をした男性が通ります。
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明るいジョガーたちが走り抜けていきました。
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途中風車のある公園に立ち寄り、安息日をゆったり過ごすエルサレムの人々の様子を垣間みることができました。
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戒律を厳しく守る人は車にも乗らず、カメラのシャッターを押すこともしないそうです。

新市街の住宅は綺麗に花で飾られ、空は抜けるように青く、ギリシャのサントリーニのような町でした。サントリーニは真っ白ですが、こちらはベージュのイスラエル石で落ち着きがあります。19世紀のユダヤ人の住居跡が今は高級住宅街イェミンモシェ(モーゼの手)になっています。

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静かに聖書を読みながら安息日を過ごしています。絵のようなご夫妻でした。
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ユダヤ人がシナゴーグに集まっていました。教会というより集会所のような感じです。女性や子供たちはテラスで談笑していました。

ラビの登場
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イスラエルは女性兵士がいます。主に後方部門を担当し,指揮するそうで、女性が強いそうです。イスラエル男性は以前よりイクメンで、育児に積極的に関わっているとのこと。
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子供たちが遊ぶベル公園(アメリカから平和の鐘が贈られた)に行って、シネマテック映画館のレストランで昼食をとりました。初めて電車が通ったという、昔の線路や遊歩道が残っているFirst Stationに行ったりました。子供たちの遊び場になっています。

安息日には公営の交通機関はみんな止まり、静かです。線路内に入る車や人。
こうした近代的な街が安息日には眠ったようになり、文字通り安息生活を過ごしているとは驚きを禁じえませんでした。

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旧市街のインパクトが強く、みんなの希望で、旧市街のダマスカス門、アラブ人地区市場に戻ることになりました。

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イスラエル旅行 6 エルサレム 旧市街

10月29日(土)早朝 

土曜日で安息日です。
朝5時半から前夜歩いた旧市街に再び出かけました。

まだ暗いうちから、ムスリム、ユダヤの人たちが次々と急ぎ足で石畳の街を歩いています。ユダヤ教徒もひとくくりにはできません。いろいろな分け方があるようですが、ガイドのきょうこさんからは世俗派、正統派、超正統派があると聞かされました。観光客から一番目につくのは超正統派の男性たち。黒い長い上着を着て、黒い帽子をかぶり,生まれてから一度も剃らないというもみあげを長く伸ばして、きれいにカールさせています。

エルサレムは東京より暑いです。乾燥しているとはいえ、こうきちんとした正装を身に付けているのは大変だろうと思いました。

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前夜行った聖墳墓教会に行くつもりでした。迷路のような道を間違えたのでしょう。教会の入り口だと思ったところはムスリムの人たちの祈りの場所でした。日曜日の朝まで入れないと言われました。外国人だからダメなのかと聞いたら、only muslimsだと言います。

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自由人のネコたち
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段差のある路地を押していきます。
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戻ろうとした路地でユダヤ教の人たちが急ぎ足で右へ曲がっていきます。その後を追っていくと嘆きの壁のぶつかりました。そこには検問所があって、「写真を撮ってはいけない。写真を撮らないなら入っても良い」と言われて中に入りました。中は男女別です。私とKさんは右へ。でも、写真も撮れず女性は圧倒的に人数も少ないので、戻ることにしました。

若い男性もきちんとした服装です。多分正統派です。
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ホテルの角ではこんなパン屋さんが出ていました。
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旧市街にはまた夕方行くことになります。朝食後新市街へ出かけました。

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イスラエル旅行 5 エルサレム 聖墳墓教会とVia Dolorosa

10月28日

3時半ごろ、旧市街にあるグロリアホテルに到着しました。バスを降り、荷物だけおろし、チェックインもせずにすぐに聖墳墓教会(Church of the Holy Sepulchre)へ向いました。

エルサレムはイスラエルの首都で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地であり、政治と文化の中心地です。旧市街と新市街があり、旧市街は重々しい城壁で囲まれており、4つの地区(キリスト教地区、アルメニアン地区、ユダヤ地区、ムスリム地区)に分かれています。薄いベージュのイスラエル石で造られた石畳と壁面の狭い暗い路地が入り組んでいます。観光客には歴史の重みの感じられる、魅力的な街であり、信仰を持つ人々には一度は訪れたい聖地なのでしょう。

私たちのホテルはキリスト教地区のヤッフォ門に近く、ダビデの塔の近くでした。
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旧市街の中は徒歩圏内です。城壁に囲まれたエルサレムの歴史は旧約聖書のカナン時代から始まっていますが、現在の城壁は16世紀のオスマン帝国の時代に作られたものです。小さな段差があってほとんど車は通りません。旧市街の路地の両脇は店屋が立ち並んでいます。エジプトカイロのバザールに似ていますが、こちらの方がずっと静かです。

キリストが十字架を背負って歩いたという、ゴルゴタへの道はVia dolorosa(悲しみの道)と呼ばれています。その道出のキリストの出来事ごとに塁(station)と呼ばれ、番号が振られています。(第7塁 キリストが再び倒れた)
この道をどれほどの人たちが踏みしめて歩いたのでしょう。
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道行く人はどの宗派の人なのでしょうか。シスターたちも急ぎ足で行きます。
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この日のビアドロローサ(Via Dolorosa)の行列は中止となりました。すごくがっかりです。あとでわかったことですが、この日は200年振りにキリストの墓が開けられ,修理をするため、聖職者の行列はなくなったのだそうです。

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聖墳墓教会に入りました。イスラエル石で築かれた重量感ある建築物です。イエスの墓のある教会で、キリスト教各派(ギリシャ正教、ローマカトリック、エチオピア正教、アルメニア正教、コプト正教、シリア正教)が管理をしています。

ギリシャ正教の人々が祈ります。キャンドルや線香を灯し、祈ります。
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入り口近くに香油を注がれたたたみほどの大きさの赤い大理石版があります。十字架から下ろされたイエスの聖骸に香油をぬったと言われる石です。巡礼者が列をなし、石に手をおき、頬刷りをし、口づけをし、香油の香りを自分の大切な物に移します。その信仰心に釘付けになりました。

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外観
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旧市街の路地をくねくねとホテルへと向いました。
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ホテルの部屋は2階のダブルベットシングルルーム。ホテルも部屋も古いけど、まあまあかな?
シャワーを浴びて、夕飯、地元の地ビールを飲みました。味はいまいち。ワインのが良さそうです。食事はビュッフェスタイルです。つい食べ過ぎるので、気をつけなくっちゃ。
テレビは英語のニュースをやっていました。トランプががなりたてていました。(とうとう大統領になりましたね。アメリカよ。どこへ行く)

ベッドにごろりと横になったら電気をつけっぱなし、テレビもつけっぱなしで寝てしまいました。目が覚めたのが11時、3時。それから寝られず、撮った写真をパソコンに取り込み、外付けにもインストールしました。

見てみるとせっかくの写真がボケボケです。。マニュアルを見ると、どうやら新しいD5500にはAF機能が付いていないようです。それにレンズにAF機能がない広角レンズをつけたので、AFが全く効いていなかったようです。キットの小さい18−55は大丈夫だったので、旅行に出る前は気がつきませんでした。

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イスラエル旅行 4 イスタンブール〜テルアビブ〜エルサレム到着

10月28日
日本とイスタンブールとの時差は6時間、イスタンブールが6時間遅れです。

ロシアを横断して飛行するのですが、ロシアは広い。モスクワを通過し、キエフあたりとなり、機内は点灯されました。日本時間の8時半、こちらはまだ夜中の2時半で、まだとろけるように眠い。

機内には子供がおらず、大声で話す人もなく、静かでした。、
トルコ航空は座席が狭かったのですが、隣がスリムな男性で良かった。スリッパ、アイマスク、イヤーマスク、歯ブラシセット、靴下などのポーチが配布され、アテンダントも不機嫌そうな人もいない。食事もサービスも悪くなく、まあまあでした。

もうトルコ国内に入り、あと37分で着陸。

現地時間午前4時20分、出発まで6時間もあるというのに外に出ることができません。

Food Courtでトルコのアイスクリームを3種食べました。伸びるアイスクリームだったけど、伸ばしてくれませんでした。7ドルだって。空港価格か、高〜い。

アタチュルク空港内で若者はこんな具合に寝ていました。
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空港内はとてもインターナショナル 2階でコーヒーを飲みながら
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ゲート集合が10時、テロ防止のためゲートのセキュリティは相当厳しい。全荷物を開けさせられました。今回の旅行で一番危ないかもと思ったのが、ここイスタンブールですが、根拠もないのに自分だけは大丈夫だと思って旅に出た能天気な私。

テルアビブへ向って離陸しました。上空から空を見るのが大好きです。
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テルアビブの町が見えてきました。白い街と言われ、世界遺産になっています。(これで世界遺産という感じですけど)
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午後1時15分、テルアビブの空港に着きました。
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午後2時、バスに乗って現地ガイドの在住20数年というきょうこさんよりイスラエルについての概要を聞きました。

食料は自給率100%
2〜3月が一番綺麗で、野生の花2900種のうちの90%が2〜3月に咲く
といったお話を聞きながら,エルサレムに向いました。

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イスラエル旅行 3

イスラエルは誰でも知っていますが、遠い国。世界の3つの大きな宗教の発祥の地。第2次大戦後にできたユダヤ人の新しい国。パレスチナと始終戦闘状態にある国。世界中に散らばった頭が良くて金持ちのユダヤ人が支援している国。

そんな国の首都エルサレムを自分の目で見たいと思いました。

まずはイスラエルの基本知識 (イスラエル大使館広報室からの情報)
人口 約841万人
国土 パレスチナの土地を含めて四国ぐらい
建国 1948年5月14日
首都 エルサレム
通貨 新シェケル
公用語 ヘブライ語、アラビア語
宗教 ユダヤ教 約75%、イスラム約20% 他キリスト教など

旅程順にまず出発日の10月27日から

近くの駅から成田リムジンバスに乗りました。バスは順調に走り、定刻通りに成田到着。ツアーは10名、関空から3人出発し、イスタンブールで合流とのこと。

フライトは30分早く22時出発になったとのことで、すぐに出国ゲートに向かいました。時間が遅く、もう免税店は全部クローズしていて残念でした。

飛行機はトルコ航空、ANAとの共同運行。乗客もトルコ人が多い様子で、満席でした。隣は若いトルコ人カップルでした。

私のすぐ後ろに著名な写真家Nさんが乗っていらっしゃいました。トルコで撮影をするのだそうです。こんな高名な写真家もエコノミーなんだとびっくりしました。

11時間という長いフライト。

夜中の12時にお食事。チキンに青梗菜。いんげんのマリネ、サラダ、ベリームース、それにレッドワイン。食事もワインも美味しかったけど、さすがにピラフとパンは残しました。こんな真夜中に食べていいわけないよね。

窮屈な思いで、ちょっと寝ました。昨晩あまり眠れなかったからか、日本語字幕の映画も見つからず、映画を見る気も、ガイドブックを読む気もしませんでした。

そうしているうちにイスタンブールに着きました。イスタンブールは2010年に来たことがあります。

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イスラエル旅行 帰国

まずは帰国の報告です。

一日遅れで帰国しました。

イスタンブールの空港で予定飛行機に乗り遅れたため、24時間アタチュルク空港に滞在しなければならなくなりました。

その乗り遅れた原因は冬時間にありました。イスラエルでは10月30日に冬時間に変更となりました。イスタンブールとイスラエルは時差はありません。でも、イスタンブールは夏時間が採用されていないため,1時間時計を進めなければならなかったのです。

私たちツアーは10人でした。添乗員が「成田到着は夜遅いため、皆さん帰宅を急がれると思うので,ここで離団のご挨拶をします。出発まで後2時間、ゲート集合時間まで後一時間ありますので、それまでにゲートに行ってください。」とご挨拶があってそれぞれ散らばりました。

私たちのツアーは買い物時間がほとんどなかったので、お土産が足りていませんでした。空港で最後のお土産を買いました。いつものことです。孫のかいくんのお土産がまだ買えていませんでした。おもちゃはたくさん持っているのでそれ以外のものと思ってあちこちさがして買いました。

集合時間まで後15分になったので、集合場所の218番ゲートに向いました。ゲートは一番奥にありました。行くと誰一人いません。ゲートは鍵がかかっていてびくともしません。ゲートが変更になったのだと思いました。これもよくあることです。聞くと214番になったと言います。途中で同じツアーのKさんに会いました。二人で214番ゲートに向いましたが、これが遠く離れていてとてもわかりにくいところにありました。

そこではここはマニラ行きゲートだと言います。ボードを見ても,成田ゆきはありません。何人もの空港関係者に助けを求めましたが、なかなか空港内の位置がわかりません。出国手続きを済ませてあったのに、また出国ゲートを出てトルコ航空のインフォーメーションオフィスにたどり着きました。

やっとここへ来て、集合時間が出発時間であって、私たちは乗り損ねたのだと判明しました。集合時間より15分以上早く着いた8名はなんとか当該機に乗ることができたのです。ここまでに空港内を1時間走り回りました。

それからチケットの変更です。もう一人都内の若い男性がやはり取り残されていました。3人で窓口といろいろな交渉をしました。窓口でとにかく旅行会社と連絡をとれと言われ、旅行会社の成田事務所に電話をしました。ホテルに泊まるようにと言ってくれましたが、真っ暗なイスタンブールでガイドブックもなく,どこのホテルに行ったらいいかわかりません。空港から離れることも不安でした。

ラウンジはどの椅子もいっぱい。スターバックスではwifiがつながるというので、そこでコーヒーを飲みながらネットにつなげました。なぜか受信はどんどん入ってくるのにこちらからは送信できません。

やっと夫に電話がつながりました。(夫は携帯を変更したため携帯メールに送っても戻って来てしまっていました。それに携帯のメアドのわかっている人はわずかしかいませんでした)

帰国翌日3日朝、写真展の搬入の予定となっていました。出発前に組写真(A3ノビ)を3枚、単写真を四つ切りワイドを2点プリントし、額入れをして、すぐそのまま持っていけるようにキャリアに積んで,玄関に出しておきました。それと私は写真展の看板係、看板5点を何としても開館までに会場に届けなければなりません。

イスタンブールは夜中の3時、日本は朝のはず、すぐに電話で夫に宅配便の手配をしてくれるよう,頼みました
そして携帯メールがやっとつながった写真展仲間のTさんに簡単な事情を記したメールを送信することができました。通常、会場に宅配便は届けられないことになっていますので、受け取れたか、たいそう心配でしたが、なんせこちらは遠いイスタンブール,いくら心配してもどうしようもありません。

そうしているうちにイスタンブールの夜が明け、ふと見ると空港内にホテルがあるのが見えました。これで救われました。私たちは朝の9時にチェックインして仮眠を取ることができました。もう体力的に限界でした。

とりあえず二人とも3時間ほど眠り,その後シャワーを浴び、また一眠りしました。Kさんは関空直行便に乗ることができ、私は成田への便に乗り込むことができました。その直前に同行した同じクラブのKさんに電話をしたところ(搬入日の朝)、彼は私がイスタンブールに取り残されていたことも知らず、びっくりしていました。宅配便を受け取ってくれるようお願いしました。

飛行機内ではもう眠くなくて,パソコンに取り込んだ写真を見たり、映画を見たりして,成田到着まで過ごしました。たいそう心配していた添乗員さんと支店長さんが成田まで出迎えてくれ、タクシーで家まで送ってくれました。丁重にお詫びをされ、恐縮するほどでした。

添乗員さんは経験が浅かったそうですが,彼女なりに一生懸命添乗してくれました。時差の確認は当然すべきことだったのでしょうが、私たちも気が付きませんでしたし、責める気持ちはありませんでした。
ただ、宅配便が写真展に間に合ったかだけが心配でした。

成田についてTさんに電話して、無事荷物が届き、展示が終わり開会できたと聞き、安堵しました。
夜はなかなか眠くなりませんでしたが、薬を飲んで寝たら、4日の昼になっていました。

神奈川県民サポートセンター一階ギャラリー(ヨドバシカメラ裏)で、9日まで私たち写真クラブの写真展が開催されています。お時間のある方,お近くへいらっしゃる予定のある方、ご高覧賜りますよう,お願い致します。私は最終日が当番です。

これから写真を整理して,旅行記を残したいと思っています。また時間がかかると思いますが、よろしくお願いします。

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