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体に電気が走る(4)

前回同じテーマで書いてから6週間ほど経ちました。間に旅行をしましたが、旅行中もずっと体に電気が走っています。

旅行前にスポーツマッサージ(整体のような感じ)を受けました。私の痛いところは第五肋骨と軟骨の間だそうです。
前から後ろから押してもまったく痛みはありません。体全体を丸くするなどしなければ、痛みはでません。が、間に指も入らないし治せないと言われました。神経外科に行ったらと言われ,ネットで調べましたが、神経外科という科はありませんでした。(いい加減だなあ)

いろいろなサイトを見ているうちに肋間神経痛の症状の一つが私のに似ていると思いました。人にその話をすると、何人かの人が「実は母が・・・・」と話す話が私の症状と似ていて、たぶんそうだろうと確信しました。さて何科に行けばいいのでしょうか。

痛みは頻繁に襲い、もう我慢の域を越えてきていました。ジムの人が近くにペインクリニックがあると教えてくれました。鍼を打ってくれるそうです。鍼なら指より細いし,鍼だと思い、先週火曜日に行ってみました。先生曰く、「おそらく私の自己診断は当たっているでしょう。しかし、胸の下から肘,指先に走る神経はない」のだそうです。だって実際そうなのですから。この場合首から来ている可能性もあるとのことで、温熱治療と鍼治療を併用することになりました。小さな鍼を5~6本打ち、それに小さな電子器具をつけて、10分間振動を送りました。鍼は1回1050円。

先生が言うには体の動きと痛みが連動しているなら整形外科、ないなら内科を受診した方がいいのだそうです。

直後はよくなったように思いましたが、翌日にはまた痛みは出てきました。強烈な痛みは減り,昨日などは頻繁に電気が走ります。1週間振りで今日行って鍼治療を受けました。

帰ってから痛みはぐっと減っているように思います。このまま効くといいなあ。今週,もう一度行ってみよう。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

写真展

旅行に行って留守にするとその前後はいつも忙しい。

地域の写真クラブの展覧会は9月末旅行中に開催され、私の作品の搬入搬出はすべて幹事さんのお世話になり,そしてどなたの作品も見ることなく終わってしまいました。

県のサロン展は旅行中に会期を迎えました。事前にフジフィムルに全紙に焼いてもらい、搬入も依頼しました。帰国後すぐに閉会となりました。大きな写真展に出品したのは初めてで、審査員の先生から直接講評をいただきました。その後の祝賀会では皆さん写真歴何十年というベテラン揃いで、写真に対する熱い思いにやけどしそうでした。こういう社会もあったのだと初めて知りました。

そして、もう一つの写真クラブの写真展が今横浜で開催中です。先週末,3点搬入し、今週2回お当番があります。今回は自分でA3ノビに焼きました。展示して先輩方の作品と比べるとまだまだプリントが下手です。写真の上手な人はプリントも上手です。(photoshopを使い、設定もいろいろ工夫しているんだけどなあ。)

いろいろな写真ファンが見に来てくださり、多くのコメントをいただきました。アドバイスをいただけるのはありがたいことです。これを咀嚼して自分の写真に行かすのはなかなか大変。被写体は生き物ですから。

きっとみんないい瞬間に出会える喜びで写真を撮っているんだろうなあ。
ネイチャーの得意なIさんはそうした瞬間に出会えたとき体が震えたと言っていました。皆さんアマチュアカメラマンですが、志、目標は高いです。どの分野でもいい作品を作りたければ、安易な妥協は許されないのだと思いました。そしてプロのカメラマンって失敗は許されず、大変な仕事だなあってつくづく思いました。

明日、この写真展が閉会します。そして11月にまた地域の芸術祭に出品です。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

地中海の旅(11)再びヴェネチア

船は朝ヴェネチアに入港しました。
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いよいよコスタに別れを告げ、下船です。

メストレのホテルに戻り、チェックインをし、部屋に荷物を入れて,再びヴェネチアの町へ繰り出しました。セントルチアのcoopでお買い物。それからまたサンマルコへと徒歩で向かいました。1週間前に歩いた路で、よく分ります。

5月にヴェネチアに来たTさんお勧めの『アル・マドンナ』というレストランを探してランチをしました。クモガニの甲羅にみっちりかに肉の入ったサラダに舌鼓を打ちました。スープもリゾットもおいしかったです。隣に座ったローマから来たイタリア人がそれは何かととても興味を持っていました。ローマではカニの甲羅に肉をつめるという料理はないのかな。

ランチのあと、サンマルコに6時集合ということで3人バラバラになりました。私はヴェネチアングラスのアクセサリーや鞄を買いたかったので、町散策をしながら,あちこち立ち寄りました。

途中、疲れて教会に入ってステンドグラスを見たり休憩したりしました。偶然SMさんが探していたヴェネチアングラスで作られたオーケストラの人形を作っている店を見つけ,店のカードをもらいました。

これまた偶然、tax払戻しのexchangeの店でSMさんに会い、一緒にその店に戻りました。私の方向はなかなか定まらず、迷いながらたどり着き、SMさんは念願のオーケストラを買い、私は息子夫婦にクラリネット奏者と婿さんにヴァイオリニストだけ買いました。店内で男性が丁寧にグラスのお人形を作っておりました。

ヨーロッパは石畳で,道も狭く階段も多いので,子ども連れや荷物を持っている人は大変。
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サンマルコ広場でハトと遊ぶ家族
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サンマルコ広場で集合し、またディナーの店に向かって歩きました。
グルメのSIさんが食べることはいつも目安を付けています。随分歩きました。

DSC_8995_convert_20111024164140.jpgカプレーゼ

DSC_8996_convert_20111024164231.jpgカルツォーネ(ハムとキノコ)

DSC_8997_convert_20111024164305.jpgエビピザ(gamberi)

どれも巨大で食べきれませんでした。

ゆっくりしたような忙しかったのような旅でした。ツアーと違って、観光地を要領よく回り,ガイドの説明を聞いて勉強するということはまったくできませんでしたが、ひたすら寄港地の街を歩いて写真を撮り、ゆっくりランチをとりました。
もっと街の暮らしを撮るには人の中に入らなければならないので,短くても滞在しなければダメだなあと感じました。

当初日本人のサポーターはいるということでしたが、出会えたのは数日経ってからで、彼女は研修中とのことでした。最初にオプショナルツアーの選び方、船の中の案内などしてもらえたら,もっと快適だったのにと思いました。

ラテンのノリは陽気で、それに乗って楽しみました。荷物の移動がなく、狭いバスで移動するということもなくらくちんでした。

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地中海の旅(10)ドブロブニク(クロアチア)

10月1日は終日クルーズ。キッチンツアーやラテンダンスのレッスンに参加したり、泳いだり、ゆっくりランチをとりました。この日のディーナーは2度目のフォーマルガラで、その後ショー見たりして一日はあっという間に終わって行きました。

2日は「アドリア海の真珠」と呼ばれているドブロブニクです。近年クロアチアは大変な人気で、行った人が皆良かったと言っていたので楽しみにしていました。朝到着しました。

クロアチアはBC8~6Cごろはギリシャの植民都市。BC3Cローマにより征服され、5Cにはビザンツ帝国に組み入れられる。6Cにクロアチア人の先祖、スラブ民族が出現。

ドブロブニクは7C頃町が始まり、12C、ローマ人によって都市国家ラグーサとしてビザンツ帝国下で発展、13C、ベネチアの支配下に置かれ,14Cラグーサ共和国に。1808年ラグーサ共和国消滅し、オーストリア帝国に編入。第一次大戦の敗戦でオーストリア・ハンガリーから離脱、ユーゴスラビアの都市となる。

1991年、そう、たった20年前の出来事、クロアチアの独立派が政権を掌握。
「クロアチア領内にも多く住むセルビア人は、クロアチアの独立に反対し、セルビア人保護を目的に、ユーゴスラビア連邦軍がクロアチアに介入した。これに対抗したクロアチア軍は、ユーゴスラビア軍との全面衝突クロアチア紛争へと進む。結果1995年に戦闘が終結するまでに大量の死者とセルビア人難民を生み出した。 これはクロアチア軍がセルビア人自治区を襲撃し、迫害を避けるためにセルビア人はユーゴスラビア地域へ退避移住せざる得ない状況に陥った事による。移住せざるを得なかったセルビア人は20万人以上と言われている。」

今も戦争の爪痕が残っています。

言語はクロアチア語、カトリック。まだEU未加入で貨幣はクーナ、ドブロブニクはクロアチアの飛び地のような南(緯度的にはローマの南ぐらい)にあります。

ドブロブニクは要塞に囲まれた茶色の屋根の町です。『魔女の宅急便』の舞台になった石造りでどっしりしているけれど、絵のように美しい町です。

こんな素敵な町がつい最近まで戦場だったなんて信じられないくらいです。

船から見た町
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城壁からみた海 遠くに見えるのが我らがコスタ。
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城壁を歩きながら
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こんな町も普通の住まいです。
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アメリカのテレビシリーズ、中世ファンタジー『Game of the thrones』の撮影に出くわしました。
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きっといろいろな歴史物の撮影に使われているのでしょうね。

建物の路地はずっと階段が続いていて、お店やレストランが並んでいます。こんなにレストランがたくさんあって商売になるのでしょうか。どこもがら空きでした。
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この夏陸路クロアチアだけの旅行に行った友達が,「クロアチアは大聖堂と旧市街と茶色の家で,空から見れば美しい旧市街も、歩いているといつも同じ感じ。ドブロブニクだけで十分」というメールをくれました。幸か不幸か私たちはこの町でしたが、ゆっくり歩いて堪能しました。

ゆうたんとこうちゃんにクロアチアのマークの入ったパーカーを買いました。お店の女性は英語は全然話せなかったけれど,クロアチア語(たぶん)で機関銃のごとくしゃべり続けていました。「これは中国製じゃなくてクロアチア製で品質がいいから高いのだ」と言いました。なぜかわかっちゃったのです。なにか一生懸命発すれば,コミュニケーションってとれるものなんですね。なんかおかしい。

そして再び乗船し,寝て起きるともうヴェネチアです。

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地中海の旅(9)ロードス島

日常生活が忙しくて、もう終わってしまった旅行の記録を残すのってなかなか大変。何でも忘れてしまうので、記したいと思って続けます。

30日朝、ロードス島コマーシャルハーバーに到着。面積はサントリーニの20倍の広さ、沖縄島よりやや大きい。アナトリア半島のトルコはすぐそば(18km)です。

船上から見るロドス。ロドスは中世の騎士が出てきそうな要塞の町であり,神話の町でもあり、屈指のリゾート地でもあります。太陽神ヘリオスがゼウスより貰い受け,エーゲ海で一番美しい島にしたと言われています。このヘリオスの孫がカミロス、イアリソス、リンドスで,それぞれ町を造ったという。

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デッキから東を見れば,暗い海から赤い朝日が昇ってきました。この日もいい天気。
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古代都市のリンドスへは行かれなかったのですが、厚い頑強な城壁で囲まれた、中世の姿を残すロドスの旧市街を回りました。
エレフテリアス門(この門を入ると旧市街)

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ここでのガイドはオーストラリア人。しゃべることしゃべること、暑い中話が長くてみんなうんざり。

スミス山の古代劇場 BC3Cのもの

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この劇場の中央で声を出すと包み込まれるような反響がありました。

アポロン神殿
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騎士団長の宮殿。宮殿というより砦そのもの。14C。聖ヨハネ騎士団(ロドス騎士団で,エルサレムから移住し、巡礼者の介護のための聖ヨハネ病院での医療活動を行っていた)が、13C末イスラム軍に追われロドスへと退き、14Cロドス島全域を支配したという。またムッソリーニが別荘として使っていたこともあるとそうです。

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コカコーラの缶で造ったというドレス
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ゼウスが雷を持つラオコーン像(本物はバチカンの美術館に)
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メデゥーサを描いたモザイクの床
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スレイマンモスクが見えます。(16C)文化的にもトルコに近いと思いました。
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ガイドのおしゃべりからやっと解放されて,私たちはレストランへと向かいました。大通りはすごい人ごみなので一本路地に入りました。

大きな木の下にある「Vasilis」のボーイさんは私たちを見ると「地球の歩き方!」とにっこり一言。やはりガイドブックを頼りに訪れる日本人が多いらしい。(vasilisは手前で見えない)
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ワインの試飲も大サービス。涼しい風がそよぐ木陰でギリシャ料理に舌鼓を打ったのでした。

奥は葉で包んだちまきのような料理,手前はエビの炒め物
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イカの詰め物とたこの炒め物
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お腹がいっぱいになったところでまた路地を歩き始めました。
狭い石畳の路地で活躍するのはもっぱらバイクです。どこの路地にもバイクが駐車。
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路地裏のねこ達
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最後にビーチにも行きました。水に触れてみました。エーゲ海の水は十分温かかったです。泳ぎたかったなあ。
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ロドスはサントリーニと違って、石造りの影や重さのある町です。今度はゆっくり訪れたいと思いました。

***
ここ数日、アテネでは大規模なデモが行われ、昨日は死者まで出たということです。ヨーロッパの経済はギリシャに端を発し、大激震に揺さぶられています。

私の訪れたリゾート地は穏やかでしたが、物乞いをする人、子どもたちを何回も見ました。アジアではよく見る光景ですが、ヨーロッパではあまり目にしないように思います。ロドスの少女たちは子犬を連れ、どの子もアコーディオンで「日曜はダメよ」を奏でておりました。みんなで誰かに習ったのでしょう。切ない光景でした。(写真の掲載はやめます)

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地中海の旅(8)サントリーニ島(ティラ)

29日朝8時につぎの寄港地、クレタ島の北にあるサントリーニに着きました。クロワッサンの形をした小さな島です。
火山島で,何回も火山が爆発し,噴火で島の中心部が沈み,現在のような形になったそうです。

7時45分にオプショナルツアーに参加の人は集合。接岸できないので、テンダーボートに乗って上陸しました。

茶色の断崖絶壁の尾根に雪が積もっているかのように白い家々がびっしり立ち並んでいるのが見えます。

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アティニオス港からバスに乗ってイアに向かいました。上の写真の先端がイアです。

車窓から見る教会
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イアはいわゆる高級リゾート地で5億円ぐらいすると言っていました。私たちはイアについてすぐ,ツアーを離れ、イアでゆっくりして、タクシーでフィラに戻ろうと決めました。11時半にスクエアで集合ということで、私たち3人もバラバラになりました。

たくさん写真を撮りましたが,どこもメルヘンのようにきれいです。

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こんな素敵なところで一夏を過せたら,身も心も溶けてしまいそう。
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哀愁を帯びたマンドリンを奏でるおにいさん
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エーゲ海の海は抜けるようにきれい。
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白壁に青い屋根の教会とレストランや民家がだんだんに建っています。
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風車もあります。風車で有名なミコノス島には行きませんでした。(コスタ・フォーチュナも以前は同じ日にミコノスへも行ったそうですが、お客さんの希望でサントリーニで一日ゆっくりすることになったそうです。正解。)
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ハイビスカス、ブーゲンビリアの花もきれいでした。
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こんな素敵なイアですが、廃屋になったビラがいくつかありました。
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今ギリシャの経済危機の原因がいろいろ言われています。「パパンドレウ政権発足後、前政権による巨額の財政赤字隠しが発覚。09年の財政赤字は国内総生産(GDP)比12・7%で、EUの財政基準3%の4倍以上に。その後、財政赤字はさらに13・6%にまで膨らんだ。ギリシャ政府は4月23日、EUの共通通貨ユーロ導入国としては初めて、ユーロ圏諸国とIMFに金融支援を要請した」朝日新聞より。
公務員が多すぎる、脱税、厚い社会保証制度が原因とも言われていますが、イアの高級リゾート地の廃屋は経済不況と関係があるのでしょうか。


素敵なアクセサリーのお店やギャラリーがたくさんありました。革製品も有名で、手作りの柔らかい皮のバッグやサンダルがありました。サンダルを2足買いましたが、これももっと買えばよかった。数千円するので決して安くないのです。

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3人集合してちょっと早めのランチを見晴らしのいいレストランで食べました。
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ギリシャ料理は期待していなかったのですが、とってもおいしかった。
ムサカ、たこのグリル、フェタチーズのサラダ、なすのサラダ。
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イアは夕日が有名ですが,船の出航が18時、最終のテンダーが5時半なのでそれまでに戻らなければなりません。タクシーでフィラまで下りました。

フィラでもそれぞれ別れ、集合せず、各自で船に戻ることにしました。フィラは土産物屋ばかりで、観光客でごった返した町でした。ケーブルカーの乗り場まで来てSIさんに会いました。ケーブルカーで港まで下りました。(ロバで下りるという選択肢もあります)

6機くっついている4人乗りのケーブルカー
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テンダーボートからみるサントリーニ
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この頃やっと船の中の様子もわかり,船上生活にも慣れてきました。

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地中海の旅(7)カタコロン(オリンピア)

イタリアから時計の針を1時間進ませて迎えたギリシャの夜明け

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28日正午、ギリシャの最初の寄港地イオニア海に面したカタコロンという港町に着きました。オリンピックの発祥の地、オリンピアへ行きました。

今回の旅行で一番関心のあった地です。前回のトルコでたくさん遺跡を見たので、次回の旅行は遠いむかしよりトルコと海でつながるギリシャへ行きたいと思っていました。TSさんの勧めでギリシャ神話を読み、神話の発祥の地を見たいと思いました。同伴のSさん2人は遺跡に関心がないから街歩きをしたいというので、私だけツアーを申し込みました。

船には従業員を除いても2500人の乗客がいます。寄港地でこれだけの人が狭い出入り口から下船するとなると大変です。コスタではうまくコントロールできていて、まずツアー客をツアー別に時差で集合、さらに各ツアーを言語ごとに番号札を出し,一般乗客より先に下船させます。その番号を呼ばれるとゼロと呼ばれる1階に下りて行き,同じバスに乗ることとなります。ガイドはその番号のついたおしゃもじを持って歩き、乗客はそれにくっついて歩きます。

バスの中ではギリシャの国旗色の服を纏ったガイドがずっと神話の話をしていました。日本語のギリシャ神話に出てくる名称はたぶんギリシャ語に近い発音だと思いますが、英語は違います。ゼウスはズース。誰の話なのか思い巡らさなければなりませんでした。ギリシャ語のアクセントの方がイタリア語より英語に近いのか,幾分聞きやすかったです。

バスに乗って40分ぐらいで遺跡に着きました。オリンピアは周囲に何もない遺跡だけの町でした。連日27~8度。ガイドは日陰を探して、みんなを座らせ、神話の話を止まることなく話し続けていました。

遺跡の保存状態は悪く,それでも近年、ドイツ考古学研究所による修復が行われ、かろうじて形をなしています。この歴史、栄華を誇るこの国が一体どうしてしまったのでしょうか。文化遺産の保持まで他国まかせとはお寒い状況ですね。

パレストラ(Palestra) 闘技場跡
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遺跡にたたずむ美女一人
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そもそもオリンピアはBC20C頃からゼウスの聖地。神々の中の神、ゼウスの神殿が建てられたのはBC5Cで、ドリア式の柱の高さは10m。当時中には金と象牙で作られた巨大なゼウス象があったのだそうです。

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保存状態が良くなく、今は説明がなければもうなんだかわかりません。この柱も2004年アテネオリンピック開催の際、ドイツ考古学研究所によって再建されたものです。

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ドリア式の柱の土台がごろごろあるゼウス神殿跡

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オリンピック裁可の採火が行われるヘラ(ゼウスの妻―嫉妬深い悪妻の元祖-この執念たるや凄まじい。悪妻の神様って興味深い)の祭壇
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ヘラの神殿(BC7,ギリシャに残る一番古い神殿)
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スタジアムへの入場門
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古代オリンピア競技が行われたスタジアム(BC4C)。W-30m, L-192m。観客は男性のみで選手は全裸で走り、勝者は勇者として誉めたたえられたと言う。手前のラインがスタートライン。

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フェリペイオン(BC4C)マケドニア王フィリッポス2世が戦勝記念として建てたモニュメント。イオニア式の柱廊のある円形の建物だったらしい。アレクサンドロス大王の時期に完成。

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ジムナシオン(体育練習場)の柱跡
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考古学博物館も見たかったのだけれど、定刻までに船に戻らないと置いて行かれてしまうと言われているので自信がなく、みんなと一緒にバスで戻りました。船には戻らず、港周辺で買い物を楽しみました。素敵なアクセサリーがたくさんありました。もっと買えばよかった。。。

ツアーに参加しなかったお二人はギリシャ料理を堪能したと言っていました。

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地中海の旅(6)バーリ(アルベロベッロ)

最初の寄港地はイタリア東南部,アドリア海に面したBariでした。

乗船した日にオプショナルツアーを検討しようと思いましたが、3つのオプショナルツアーのパックを買うと2つのオプショナルツアーの料金で行かれます。そのパックを買いました。

バーリでは洞窟住居のあるマテーラ(Matera)アルベロベッロ(Alberobello)か悩んでいましたが、パックはアルベロベッロのみだったので,必然的に決まりました。5時間半のツアーでした。

日本語のツアーはなく、英語のツアーに参加しました。一つのバスに英語とドイツ語のイタリア人ガイドが乗り込み交代で2つの言語で説明します。語尾がのびてちょっと上がるイタリアアクセントの英語を楽しみました。癖がつきそう。サンタ・ニコラスが街の守護聖人になっていて、聖書のようなエピソードを話していました。でもどの話もわかったようなわからないような。。。

おかしかったのはなぜか混じっていたイタリア人乗客二人。休憩時間にガイドに英語とドイツ語で説明がちっともわからないとイタリア語で話していました。(でも,私なんでこの状況がわかったんだろう?)かわいそうに,どこも満席なのか、時間が違うからなのか、バスを変更できず,ずっとこのバスに乗っていました。やっぱイタリア。

港からバスに1時間揺られ、「トゥルリ」と呼ばれる石を積み上げて作った三角錐の屋根をもつ家々の集まった街です。リオーネ・モンティ地区(1000軒)とアイア・ピッコラ地区(400軒)をまわりました。

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この建物は外気が40度近くても20度も涼しく,農作業をしていた農夫が一休みをするのに使っていたそうです。こうした家が1000家ぐらい建っています。

Wikiによれば、「15世紀末、この町を支配していたナポリからジャンジローラモ2世(アクアヴィーバ伯爵)が送り込まれた。当時、ナポリ王は伯爵から家の数によって税金を取っていた。しかし、アクアヴィーバ伯爵は、税金をごまかすためにすぐに解体できる家作りを指示した。国の役人がやってきたときに屋根を壊して、これは家ではないと主張する為であった。農民たちはアクアヴィーバ伯爵の命令で何度も解体と建設を繰り返さなくてはならなかった。農民たちは家の形を必死に考え、ついにトゥルッリを作り上げた」とのこと。

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かわいい絵はがき通りの家々だけど、これ以外の地区では普通のビルや家が建っているので,何だか変。でも,世界遺産だそうです。
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時間の半分以上自由行動で石畳の路地を歩き、小さい店でワイン、オリーブオイルと試食しておいしかったこの土地の名産、オッレキェッテを買いました。もちもち感のある親指ほどのシェル形の厚めのパスタです。

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土産物屋もレストランもみなトゥルリです。
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以前に来たことのあるSMさんが白川郷みたいと言っていましたが、白川郷にも行ったことはないけど、白川郷の方がまだ雰囲気があっていいんじゃない?

<続く>

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地中海の旅(5)ヴェネチア

クルーズの前泊と後泊をクルーズの出港地ヴェネチアの隣駅メストレにホテルをとりました。ホテルはノボテル。
私とSMさんがダブルベッド、1人部屋のSIさんが広いツインベッド。イタリアのいい加減さを感じさせるスタートでした。

翌朝荷物を置いたまま、7時半ごろヴェネチアまでタクシーで行きました。15分ぐらい26~33ユーロ。タクシーの中からサンタルチア駅近くに停泊しているコスタ・フォーチュナを見つけました。

ヴェネチはご存知、運河の街。車の代わりに水上バス、水上タクシーが動いています。

ゴミの収集船
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八百屋さん
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買い物やレストランの目星を付けていたSIさん主導で地図を見ながら、ヴェネチアグラスのアクセサリー屋につっかかりながら,道路のサインを目印にリアルト橋、サンマルコ広場へ向かって歩きました。観光シーズンも終わりかかる平日なのに,観光客はかなり多かったです。

私は写真を撮りながら二人に遅れながらついて行きました。

Rioと呼ばれる小運河
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運河も周囲のビルもきれいと言えません。それでもゴンドラがたくさん出ていました。

シャッターが下りた人通りの少ない路地。やはり景気が良くないからなのでしょうか。

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リアルト橋からの眺め
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サン・マルコ広場  サンマルコ大聖堂(これは11~15世紀、ロマネスクとビザンチン様式の混合建築)周辺はカフェが並んでいます。
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同じくドゥカーレ宮殿 (ヴェネチアゴシック様式14~15世紀)
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建物のそばに行っても見るだけで中に入らずひたすら街歩き
12時にはホテルに迎えにくるので,戻らなければなりません。水上バス(ヴァポレット)に乗って、サンタルチア駅まで戻りました。60分6.5ユーロ。あちこち停まりながら行くので、歩いてもそう時間的には変わりません。
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ホテルに戻り、今度は荷物を持って乗船のチェックインです。船に荷物を預け、People Mover(モノレール 1ユーロ)に乗って、再びヴェネチアの街へと繰り出しました。最終チェックインは4時なので,それまでに船に戻らなければなりせん。

バーカロというワインバーで軽く昼食。カナッペのようなものを食べました。
アメリカでもそうだったけれど、欧米人は座ってワインを飲みたいって思わないのかしら。

荷物は外で,犬は中
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路地を抜けるとカンポと呼ばれる広場があちこちにあります。

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また最終日はヴェネチアなので下見のつもりであちこち散策し、今度は歩いてまたPeople Moverに乗り、あたふたと船に戻りました。

5時出港でした。

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地中海の旅(4)食事

船の移動なので、原則食事は3食ついています。イタリア料理です。朝はアジア料理(中華のフュージョン)も選ぶことができました。

3~4階に吹き抜けの巨大なレストランが2つ、それにデッキにビュッフェレストランが3つあります。だいたい朝と夜は船内で食べました。

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ディナーは6時半と9時からの2部制。私たちは1部で、ディナーのテーブルは毎回同じでリタイアの記念旅行にいらしていたMさんご夫妻とご一緒でした。1ヶ月半のヨーロッパ旅行だそうです。旅慣れたご夫婦で、楽しくお話でき、最後の日にはワインまでご馳走になりました。

船内新聞『Today』に毎晩、翌日のドレスコードが発表されます。それに合わせて、ディナーの服を選びました。二回フォーマルディナーがあり、私は黒のイブニング(SMさんのいうキャバクラドレス)と3人で思い出のアオザイを着ました。インフォーマルの日は衣装の色を指定されたりするので、アクセサリーやスカーフをお互い借り合って身につけました。別に厳しいというわけではないので,ディナーの前は大騒ぎで服を身につけ、お祭り気分でした。

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モスグリーンのアオザイが私です。

毎日のように誰かの誕生日となり、パッピバースデイが流れます。ラテンのノリはハイテンションです。
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デザートが終わる頃になるとキャンドルがつき、一斉にお客さんがナプキンを片手に持ち,それを振り回すのです。(これってどういう意味なのかしら)そして,歌やらダンスやらが始まり,盛り上がったところで終わるのです。

デッキのレストランでは
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いつもどこかのレストランで何かしら無料で食べられるのです。ゆっくり起きた人はブランチ、またおやつなどなど。ラテン人のお皿はいつも大盛り。びっくりするような量です。それじゃあ太るの当たり前だってと太めの私が思ってしまうのです。

一度英語のキッチンツアーがあり、参加しました。当然,キッチンも巨大です。

ウェイターや厨房の人たちは圧倒的にフィリピン、インドネシアの出身者が多かったです。アジア人は料理のセンスがいいからなのか、島国で海や船が好きだからなのか,国に仕事がないからなのか。いずれにしても広い海に出ようという彼らの心意気に乾杯!

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船の従業員は労働時間が長く、職住接近もいいところで、半年以上上陸できません。このコスタ号には1000人の従業員が乗船しているのだそうです。そのうち私たちが顔を見るのは300人ぐらいとのこと。顔を見ない人たちはどんな仕事をしているのか、仕事場を見たかったなあ。

<続く>

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