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『ローマ人の物語 3、4、5 ハンニバル戦記 上、中、下』塩野七生

春の初めに『ローマ人の物語1、2』を読み、やっとその次の『ハンニバル戦記』を読み終えました。

この間にハンニバルの国カルタゴ(現チュニジア)は政変があり、チュニジアに端を発したジャスミン革命はイスラムのエジプト、リビア、シリア諸国に広がりました。紀元前2世紀頃の北アフリカは地味豊かな国だったそうです。

さて、あまりに長期に渡ってチョビチョビ読んだので、頭の中で歴史がうまく流れていません。が、ここでまとめないとあっという間に記憶がゼロになってしまうので、頑張って書こうと思っています。


BC3C後半、イタリア半島を統一したローマは紛争の絶えないシチリアの小国の救援以来により、初めて海を渡って、派兵を決める。地中海の派遣を巡って争われたのが「ポエニ戦役」だった。

塩野は「ローマ人の面白いところは、、何でも自分たちでやろうとしなかった所であり、どの分野でも自分たちがナンバーワンでなければならないとは考えなかった所である。もはや完全にローマに同化していたエトルリア人は土木事業で腕を振るっていたし、南伊のギリシア人は通商をまかされていた。シチリアが傘下に加わってギリシア文化が導入されるようになって以降は、芸術も哲学も数学もギリシア人に任せます.という感じになってくる。このローマ人の開放性は時代を経るに従ってますます拡大していく」とローマ人気質を語っている。

ローマの軍団については「何ごとにつけてもシステム化することの好きなローマ人の性向は・・・君主の一声で軍勢を集めたり必要になって初めて傭兵を募集するのが一般的であった時代、ローマ人のやり方は特異そのものだった」と述べている。
この時代の以前からチュニジアのあたりには戦争が始まると給金で集まる傭兵がたくさんいたのだ。

第1次ポエニ戦役はローマの勝利となり、カルタゴで復習を誓った青年がハンニバル。「スペインから象と大軍を率いてアルプスを越え、イタリアに攻め込んだ」「知略と戦術を駆使して、つぎつぎと戦場で勝利を収める」。ローマ側に現れたのがスキピオだ。ハンニバルはスキピオの12歳年上。

カルタゴでは敗戦の責任者を十字架に処して殺してしまうのに対し、ローマでは敗将を罰しないを伝統としていた。リキニウス法成立以来、国家の要職のすべてを平民にも開放するという方針をとっていた。またローマという国は同盟諸都市の間に点在する植民都市(コローニア)には、ローマ市民か、ローマ市民とほぼ同等の権利を持つラテン人が移住しており、彼らはローマ市民権所有者であると同時に兵士でもある。従ってハンニバルは「ローマ連合」の解体という基本戦力を実現しなければならなかった。ローマ連合の絆はハンニバルが想像するよりはるかに
強かった。これがハンニバルの誤算だった。

ハンニバルはアレクサンダー大王を史上最大の戦略家とし、そこから馬力の重要性、有機性を学んだ。ハンニバルの誕生の100年前のことである。ハンニバルとスキピオは古代の名将ベスト5に入る二人だ。この二人がザマの会戦で激突するのである。スピキオの戦術はハンニバルが駆使した戦法で、アレクサンダー大王の創始した戦法だった。

そのスキピオがこの会戦から数年後「この時代でもっとも優秀な武将は誰か」とハンニバルに尋ねる。
「1番マケドニア王アレクサンダー、2番エピロスの王ピュロス、3番私だ」と答えている。

塩野によると、現在の研究者によれば、スキピオの影響下にあった時期のローマ元老院の対外政略は穏健な帝国主義と名付けられるものであったと言う。つまり、租税を徴収できるが、兵力提供は期待できない属州よりも、租税年貢金もないが兵士の参戦は期待できる同盟関係を好んだ。

こうしてローマはBC202年までにカルタゴを下し、BC197年にフィリップス王の子、ペルセウスのマケドニアを、BC190年にシリアを降した。同年、スキピオ病死、ハンニバルは自殺した。地中海の覇権はローマのものとなった。

「パトローネス」はローマ、「クリエンテス」は、その下で独立と自治を享受する同盟国で、ローマの責務は「クリエンテス」を守ることにあるのだそうだ。

BC149年に第3次ポエニ戦役が始まり、カルタゴ破滅後、ローマの属州となった。

それにしても塩野は女性でありながら、なぜこのように戦略、戦術に関心を持ったのだろうか。

5冊でまだ全体の6分の1。読破までの道は遠い。
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テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

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