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『半席』 青山文平

作者青山文平は1948年神奈川県生まれ。2016年、『つまをめとらば』で第154回直木賞を受賞。この作者の本を初めて読みました。

「分別ある侍たちが、なぜ武家の一線を越えたのか。直木賞受賞後、待望の第一作!」

「若き徒目付の片岡直人に振られたのは、腑に落ちぬ事件にひそむ「真の動機」を探り当てることだった。精勤していた老年の侍がなぜ刃傷沙汰を起こしたのか。歴とした家筋の侍が堪えきれなかった積年の思いとは。語るに語れぬ胸奥の鬱屈を直人が見抜くとき、男たちの「人生始末」が鮮明に照らし出される。本格武家小説の名品六篇。」と書かれています。

本書はそれぞれ約40ページの「半席」、「真桑瓜」、「六代目中村庄蔵」、「蓼を喰う」、「見抜く者」、「役替え」から成っています。

時は江戸幕府が開かれ200年ほど経った「文化」の世。世は戦もなくなり、平和になり、生涯刀を抜いて人を切ることもなくなった武士達は幕府の官吏としてのお役目を果たしながら、必死で一歩上の階級を登ろうとお役を勤めています。

主人公ほか主要人物は6編共同じ。主人公、片岡直人は20代半ばを過ぎた徒目付(かちめつけ)で、そんな武士の一人です。
それに直人の上司、徒目付組頭の内藤雅之は懐の広い、器の大きな魅力的な男です。それにちょっと得体の知れない浪人澤田源内(時には名前も変える)も登場します。

本書の題名「半席」とは一代御目見(将軍の儀に列席できる)のことで、子孫まで身分が保証される旗本ではありません。彼の父は旗本でしたが、一度きりの御目見で無役になってしまいました。子も旗本と認められる永々御目見以上になるためには、ふたつの御役目に就かなくてはなりません。これは父子二代で達成しても可です。

直人は「半席、半席」とつぶやきながら、落ち度がないように、上からの引きがあるようにと、徒目付を出世のための踏み台と考えて、真面目にお勤めを果たしています。「自分は無理でも、いずれは生まれてくるのであろう自分の子には、要らぬ雑事に煩わされることなく、御勤めだけに集中させてやりたい」と。

上司、雅之は剣の腕もたつが、出世競争から一歩下がったところで、にこにこと釣りや食べ物の話をしています。「旨いもんを喰やあ、人間知らずに笑顔になる」というのが雅之の口癖です。

7年も徒目付をしている雅之のところには、表向きにできない頼めれ御用が持ち込まれてきます。そんな御用を半年に1回ぐらい直人にやってみないかと振るのです。

当時、事件が起き、下手人が逮捕され、自白すれば、お裁きは終わりで、あとは刑の執行を待つばかり。その動機は本人が言わない限り、解明されることはありません。今の時代では考えられませんね。テレビ時代劇、「大岡越前」でも、動機は解明されていたように思うのですが、どうだったでしょうか。この頼まれ御用とはある人からその動機解明を依頼されたものなのです。

それは、あまり出世には役立たないので、直人は渋々引き受けたのですが、その度、人の心の機微に触れ、雅之の魅力に惹かれ、依頼されると引き受けるようになり、若い直人は成長していきます。

この「文化」の時代の浅草、上野、神田、日本橋界隈の空気感がそこにいるように感じられる、素晴らしい描写力です。真面目に生きてきた老武士はプライドが傷つけられると、些細なことから一線を越えて、犯罪人となってしまいます。しかし、自白はしても、その動機を話そうとしません。それでも、死ぬ前にその訳を誰かに話したいと思っているのです。話のきっかけができると、堰を切ったように話し始めます。

平和な時代の階級社会。真面目に勤めを果たす武士達は今の平成の世の会社員のようです。こんなサラリーマン生活で、雅之のような上司に出会えたら、いいでしょうね。

時代小説を読みなれないので、江戸幕府の組織や読み方が頭に入らず、はじめの数ページは進みませんでした。その組織図が添付されていたらよかったのにと思いました。

単行本刊行にあたって、筆を入れたとのことですが、各編に「半席」や町の説明が入るので、これを整理、削除した方が読みやすかったと思います。

「文化」の時代、人はとにかく歩きます。そんな町の香りが残っているところがあるでしょうか。夏目漱石の明治時代と合わせて、ゆっくりカメラを持って散歩したいとも思いました。

藤沢周平がお好きな方はこの本を面白いと思われると思います。お読みになってください。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『コンビニ人間』 村田沙耶香

「第155回芥川賞受賞作!

36歳未婚女性、古倉恵子。大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。
ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は「恥ずかしくないのか」とつきつけられるが……。
現代の実存を問い、正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。」

作者村田沙耶香の作品は『消滅世界』を読んだことがあります。

これは「戦争により極度に子供が少なくなり、その対策として人工授精の技術が飛躍的な進化を遂げた。戦後も人工授精が通常化し、高等な人間は交尾(性交とは呼ばれない)で妊娠する例はめったになくなった。」という奇妙な近未来小説でした。

本書『コンビニ人間』は現在が舞台で、36歳のコンビニでアルバイトをする女性が主人公です。150ページの中編。

恵子は子どもの頃から「普通」じゃなく、周囲をギョッとさせてきた。母にも妹にも心配され、「治療」を勧められていた。恵子も「普通」じゃないと自覚する。

そんな彼女はオープンしたばかりのコンビニで仕事を始めた。正社員ではなく、フルタイムに近いアルバイト店員だ。同じ制服を身にまとい、接客マニュアルを身につけ、コンビニ店員になった。「そのとき、私は、初めて、世界の部品になることができたのだった。(中略)世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生したのだった」と自覚する。以来18年間、彼女は同じコンビニでアルバイトを続けてきた。

家族、同級生、みんなが就職も結婚もしない恵子を「普通じゃない、大丈夫?」と案ずる。「何で結婚しないの?」「何でアルバイトなの?」と。

コンビニはマニュアルがあるから、恵子は普通でありえる。同僚の喋り方、ファッションを真似し、笑顔を作り、自分なりの「普通」となり、マニュアル通りにコンビニ人間を演じることで、自分の居場所を見つけてきたのに。

それが、自分にちょっと似たダメ男白羽を自宅に住まわせることになったために、周囲の態度は激変する。

「普通」って何?「普通」じゃなきゃ、どうしてダメなの?作者はシニカルにそれを見つめています。村田の作品は半透明のガラスのような色を感じさせます。

短いし、お読みになってみてください。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『天使と悪魔』 上 中 下 Angels & Demons by Dan Brown 訳 越前敏弥

暮れからお正月にかけてダン・ブラウンの長編『天使と悪魔』を読みました。
本書は2000年出版。2003年日本語訳本出版

新年に読むのにあまりふさわしい本ではありませでしたが、面白くてどんどん読めました。そして、録画しておいた映画『天使と悪魔』を読み終えてから見ました。ちょうどダン・ブラウン原作の映画「インフェルノ」が公開されるので、放映されたのでしょう。(今公開中です)

以前、ダン・ブラウンの大ベストセラー『The Da Vinci Code』(2003年)を読みました。当時まだ翻訳が出ていなかったので、珍しく原書で読みました。たくさん辞書を引き、時間がかかりましたが、ストーリーに引き込まれて、読み終えました。苦労して読んだからか、これも珍しくストーリーを覚えています。

この『天使と悪魔』は『ダヴィンチコード』より先に書かれています。主人公は両書ともハーヴァード大学の宗教図像学の教授、ロバート・ラングドン。『天使と悪魔』はシリーズ第1作です。

主人公が同じ、そして問題解決には美しい有能な女性が同行、異常な死体の発見、その被害者はその女性の養父や祖父、不気味な暗殺者、それを操る人物、死体に残された暗号の解読、キリスト教や教会、秘密結社、後半のどんでん返しに次ぐどんでん返し、などなど、類似点があまりに多く、デジャブな気分で読みました。

「ハーヴァード大の図像学者ラングドンはスイスの科学研究所長から電話を受け、ある紋章についての説明を求められる。それは16世紀に創設された科学者たちの秘密結社”イルミナティ”の伝説の紋章だった。紋章は男の死体の胸に焼印として押されていたのだという。殺された男は、最近極秘のうちに反物質の大量生成に成功した科学者だった。反物質はすでに殺人者に盗まれ、密かにヴァチカンに持ち込まれていた。」とあります。

作者は注記として「ローマの美術品、墓所、地下道、建築物に関する記述は、その位置関係の詳細も含めて、全て事実に基づくものである。これらは、今日でも目にすることができる。イルミナティに関する記述もまた、事実に基づいている」としています。

このイルミナティとは、「光を与える、光から来たもの」、「啓蒙、開化」を意味するラテン語です。カトリック教会と対立してきた科学者の秘密結社で、フリーメイソンとの関係があるとされています。ダヴィンチコードではこのフリーメイソンとシオン修道会がその秘密結社でした。実在の有名人(ジョージ・ワシントン、ハミルトン、モンロー、ジャクソン、セオドア・ルーズベルト、フランクリン・ルーズベルト、トルーマン、フォード、ジョージ・ブッシュを含む米国の著名人)もフリーメイソンの会員だと作者は言っています。

消えたはずのイルミナティが実は地下で脈々と生き残っており、様々な陰謀に関与し続けているというのです。本書はこのイルミナティがキリスト教会に対して復讐するサスペンスです。

ローマ法王が急逝し、コンクラーベで次々と次期法王の候補である4人のプレフェリーティが失踪します。犯人は1時間ごとに一人ずつ公共の場で殺害すると予告してきました。ラングドンはガリレオの残した詩からイルミナティのメンバーだった思われる彫刻家ベルニーニの彫刻を手掛かりに、犯行現場を探します。4人は四大元素(Earth, Aire,Fire, Water)の残忍な方法で殺されてしまいます。(映画では最後のWaterの枢機卿のみが助かることになっています)

テーマは宗教と科学です。
『神は間違いなく存在する、と科学は語っている。自分が神を理解することは永遠にない、とわたしの頭は語っている。理解できなくていい、と心は語っている。』

さて、「天使と悪魔」の映画ですが、ダヴィンチコードと同様、著者のダン・ブラウンが制作に関わっています。主人公には同じトム・ハンクス。映画の方が色々な人物や事象が省かれていて(時に変更され)、シンプルになって、わかりやすいかもしれません。それに建築物やコンクラーベの衣装などの映像が、理解の助けになりました。原作の方がずっと映像的でアクションも華々しいです。

映画より原作の方が面白かったし、また、本書より「ダヴィンチ・コード」の方が鮮烈で、面白かったです。

本書はローマの観光ガイドブックのようでもあります。この本を頼りに、もう一度ベルニーニの彫刻を見ながら、ローマを歩いてみたいと思いました。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

『バラカ』 桐野夏生

本書は桐野夏生の650ページもの大作です。

著者は
「私の「震災履歴」は、この小説と共にありました。
重力に逆らい、伸びやかに書いたつもりです。
まだ苦難の中にいる人のために、ぜひ読んでください。」と言っています。

泉鏡花文学賞受賞の『グロテスク』同様、事実から発した事件を小説家ならではの発想で小説としてとして表現したものです。

「今、この時代に、読むべき物語。
桐野文学の最高到達点!
震災のため原発4基がすべて爆発した! 警戒区域で発見された一人の少女「バラカ」。彼女がその後の世界を変えていく存在だったとは――。
ありえたかもしれない日本で、世界で蠢く男と女、その愛と憎悪そして勇気。想像を遥かに超えるスケールで描かれるノンストップ・ダーク・ロマン!
子供欲しさにドバイの赤ん坊市場を訪れる日本人女性、酒と暴力に溺れる日系ブラジル人、絶大な人気を誇る破戒的牧師、フクシマの観光地化を目論む若者集団、悪魔的な権力を思うままにふるう謎の葬儀屋、そして放射能警戒区域での犬猫保護ボランティアに志願した老人が見つけた、「ばらか」としか言葉を発さない一人の少女……。人間達の欲望は増殖し、物語は加速する。そして日本は滅びに向かうのだろうか――。
桐野夏生が2011年夏から4年にわたって、危機的な日本と並行してリアルタイムに連載してきた作品が、震災から5年を経た今、ついに書籍化! 」

と書かれています。

とにかく面白く、どんどん読めました。

原発の被害がもっと壊滅的だったらという発想で書かれています。ひつと間違えば、十分可能性はあったと思います。本書で、著者の思いががうまく表現できたでしょうか。

本書はプロローグ、第一部、第二部、第三部、エピローグで構成されています。

タイトルの「バラカ」は主人公の少女の名前でアラビア語で「神の恩寵」という意味です。ドバイのベビースーク(子供マーケット)で売られていた幼児はみんなバラカと呼ばれていた。

プロローグで震災4カ月後、老人ボランティアたちは飼い主のいなくなった犬と一緒にいた、まだオムツの取れない少女を発見。少女の話した言葉は唯一「バラカ」。ボランティアの豊田は少女を引き取る。

あの日の震災で、福島第一原発がすべて爆発し、東京は避難勧告地域に指定されて住民は西に逃げ、首都機能は大阪に移り、天皇も京都御所に移住したという設定になっている。

第1章では、場面は変わり、震災前。
アラフォーの女性二人(テレビディレクター優子と出版社勤務の沙羅)、共に独身。その二人が大学時代に同じ男性(川島)と関係を持ち、共に堕胎の経験がある。そのことはお互いに知らない。沙羅は男にはうんざりしながらも、子供が欲しいと熱望する。

川島は外見もすっかり変わり、葬儀屋となり、二人の前に現れる。

またまた場面は変わり、群馬県太田市を思わせる町に住む、小さな女の子のいる日系ブラジル人夫婦。男は酒に溺れ、女はある教会にはまっていて、夫婦間には亀裂が走っている。

こうして主要登場人物が紹介される。ここまで書くと、大方のパッチワークが繋がるのではないでしょうか。

次は大震災から8年後。2020年のオリンピックは大阪に開催地が変更された。日本という国自体が西日本と東日本に分断され、西日本は大阪を首都としているのに対して、東日本は震災であたかも壊滅状態になっている。

豊田に発見されたバラカは被爆し、のちに甲状腺癌にかかります。それからもバラカの試練はまだまだ続くのです。その加害者には川島もいるし、バラカを自分たちの運動のシンボルとして利用しようとする原発推進派や反原発派もいます。
 
葬儀屋の川島は悪魔ともいうべき、とんでもない男で、バラカが超能力ともいうべき力を窮地に発揮します。この男がもう少し普通の人間だったら、そしてバラカがたまたまの幸運が重なって生き延びたようにした方(大災難の時に、実際こういう人がいます)が説得力があるように思うのですが、いかがでしょうか。

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『伯爵夫人』 蓮實重彦

図書館に貸し出しを申し込んでから半年近く経って届きました。

本書の著者は元東大総長の蓮實重彦、1936年東京生まれ。仏文学者、映画評論家、文芸評論家、小説家。2014年『「ボヴァリー夫人」論』刊行。

元東大総長という肩書き、本書で三島由紀夫賞受賞、その時の「不機嫌記者会見」、80歳という年齢、話題にならないわけがありません。

三島由紀夫賞受賞の記者会見において不機嫌であったことから、受賞を喜んでいるかと記者から問われ、「はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております」と答え、いしいしんじのような若手が受賞に相応しいとし、自分を選んだことを「暴挙」とまで言い放ったそうです。

「世界の均衡は保たれるのか? エロスとサスペンスに満ちた文学的事件! 帝大入試を間近に控えた二朗は、謎めいた伯爵夫人に誘われ、性の昂ぶりを憶えていく。そこに容赦なく挑発を重ねる、従妹の蓬子や和製ルイーズ・ブルックスら魅力的な女たち。しかし背後には、開戦の足音が迫りつつあるらしい――。蠱惑的な文章に乗せられ、いつしか読者は未知のエクスタシーへ。著者22年ぶりとなる衝撃の長編小説。」


この本を手にし、パラパラとめくった時から、なにか違和感を感じました。段落が長く、1ページにほとんど隙がないくらい文字が埋まっているのです。そして読むと会話は多いのに、地の文の中に埋め込まれていて、いわゆる「」といった会話の区切りがありません。

ナレーターの視点が次々と変わっていくのに、誰の会話かわからないということはまったくなく、どうしたらこういう文が書けるのかいう不思議な本です。

そして、このブログに載せるのをためらうほどエロチックなのです。言葉がアラビアンナイトのように露骨で、ストレートでそのものズバリ表現されていて、ここに引用することもできません。

物語は日米開戦前夜の東京。主人公は二朗という帝大法科の受験を控えた旧制高校生と、二朗の家に住む「伯爵夫人」と呼ばれる得体のしれない女性。年上の女性が未成年の少年に手ほどきをするお話です。そこに、二朗の従妹の蓬子が背伸びして、好奇心いっぱいで、二朗を振り回すのです。

映画評論家でもある作者は古い映画のいろいろな主人公、俳優を登場させます。本書の二朗も作者を思わせる映画好きです。

何かを暗示するように同じ表現が繰り返し出てきます。例えば、「ばふりばふりと回って重そうな回転扉」と「尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれており、その尼僧が手にしている盆の上にも同じココア缶が置かれているのだから、この図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続く」のドロステ・ココアの缶。

本日、12月7日の朝日新聞の「回顧2016文芸」欄で、「青年と元高級娼婦とのエロチックな交流を自在な筆致で描いた怪作。日米開戦前夜を生きる女性たちのしたたかな強さが痛快で、若手作家たちが描き出す現在の息苦しさとの対照が印象的だった。」と書かれていて、片山杜秀氏が今年の3点の中の1点に選んでいます。

私には実験的な本だったようにも思えますが、ポルノ小説のようにも思えます。作者の狙いが今ひとつわかりませんでした。そんなにお薦めの本とは思えなかったのですが、読みが浅いですか。

*****
イスラエル旅行記が一向に進みません。年内には終えたいと思っているのですが。。。

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『リチャード三世』シェークスピア 訳 木下順二

今日はちょっと旅行記を中断して、シェークスピアです。

このところ、なぜかシェークスピアづいています。9月末に「ハムレット」のお芝居を見ました。1月に朗読劇「間違いの喜劇」の切符を手に入れました。(小田島雄二訳で、小田島先生が解説をなさいます)

そして、先日英語の会で「Shakespeare Explains the 2016 Election」という記事を勉強しました。米選挙結果がでる前のNewYork Timesの10月8日発行の記事です。

シェークスピアは15世紀薔薇戦争の時代の英国王、残忍で知られたリチャード三世を取り上げ、いろいろな人物を登場させています。

記事のライターはStephen Greenblatt氏で、この登場人物を、何もせず黙認する人(enabler)を5つに分類し、投票を呼びかけています。

そして、"Not speaking out-- simply not voting--is enough to bring the monster to power."
"Do not think it cannot happen, and don not stay silent or waste your vote"
と結んでいます。

その後で次期米大統領はドナルド・トランプと決まり、今、世界中でどうしてこういう結果になったのか分析が行われています。

英語文中にリチャード三世からの会話が挿入されておりました。前後関係もわからないその台詞はわかりにくかったです。原書は読めないので、訳本を読んでみることにしました。

戯曲なのですぐ読み終わるだろうと思ったのに,とんでもない。登場人物は王も王妃のせりふは格調高く、あまりにも雄弁で、芝居がかっていて(芝居ですが)読みにくい。

主な登場人物(ネットより引用)

<ヨーク家:白薔薇>
・リチャード:主人公。ヨーク家の三男。狡猾で残忍な性格。生まれつき奇形。
・エドワード四世:王様。ヨーク家の長男。リチャードとジョージの兄。
・ジョージ:ヨーク家の次男。リチャードの兄、エドワード四世の弟。
・王妃エリザベス:エドワード四世の妻。
・エドワード王子:皇太子。エドワード四世と王妃エリザベスの息子。
・エリザベス姫:エドワード四世と王妃エリザベスの娘
・バッキンガム公:リチャードの腹心

<ランカスター家:赤薔薇>
・ヘンリー六世:ランカスターの王。
・マーガレット:ヘンリー六世の妻。
・アン:ヘンリー六世の王子エドワードの妻。その後、リチャードの妻。
・リッチモンド伯:リチャード三世を倒し、のちにヘンリー七世。

なんせ名前が同じでちょっと間が空くと人間関係がわからなくてなってしまいます。
戯曲はやはり読むものではなく、耳で聞くものと痛感しました。読むと台詞に強弱、間がありません。時に、大事な台詞が流れていってしまいます。それに舞台なら登場人物は衣装も着ているし、それぞれの役を演じているので、それらしい台詞回しもありましょう。

200ページ余りの本でしたが、なかなか難解でした。大統領選でシェークスピアを引用する教養には脱帽ですが、日本だったら、シェークスピアに相当する作家は誰でしょうか。もっと前なら紫式部?いやいや源氏はとても引用などできません。時代が下りますが,漱石ですかね。

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『羊と鋼の森』 宮下奈都

著者宮下奈都は1976年福井生まれ。本書で直木賞、本屋大賞を受賞

本書は240ページの軽めの本です。主人公はピアノ調律師、今時こんな青年がいるのかしらと思うほど、純で爽やかです。

「ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。ピアノの調律に魅せられた一人の青年。彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。」

ピアノの弦が鋼、その弦をたたくハンマーは羊の毛から作られたフェルトでできています。
主人公外村は森の中の集落で育ち、高校進学のために山を下りた北海道の高校2年生。そこで,初めて調律師板鳥に出会う。そして外村は北海道を出て調律師の専門学校で学び、故郷の板鳥の働く楽器店に就職するのだ。

そして板鳥は外村に言う。「焦ってはいけません。こつこつ、こつこつです」

「美しいものを前にしても,立ち尽くすことしかできない。(中略)美しいと言葉に置き換えることで,いつでも取り出すことができるようになる。(中略)きっと僕が気づいていないだけで,ありとあらゆるところに美しさは潜んでいる」美を意識する瞬間。

調律師として出向いた家で双子の高校生に会う。情熱的な静かなピアノを弾く姉と明るい生き生きした音を出す妹。

「調律師にもいろんな人がいる。やり方もいろいろだ。(中略)いい音はいい。どんな音が欲しいかと聞かれて正確に表現できるお客さんなど滅多にいない。それならば,こちらからいい音を提示してしまう方が早い。たいていはそれで満足してもらえる。」

外村は純粋にいい音を求めて模索していく。先輩の板鳥は有名ピアニストから指名されるあこがれの調律師だ。彼は原民喜の理想とする文体を外村に教える。「明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているようでありながら、きびしい深いものを湛えている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体」

素敵な表現だ。

「自分が迷子で、神様を求めてさまよっていたのだとわかる。(中略)神様というのか、目印というのか。この音を求めていたのだと思う。(中略)この美しい音に導かれて僕は歩く。

ピアニストを目指していた調律の先輩,秋野は言う。
「才能がなくたって生きていけるんだよ。だけど、どこかで信じてるんだ.一万時間を越えても見えなかった何かが、二万時間をかければ見えるかもしれない。早くに見えることよりも,高く大きく見えることの方が大事なんじゃないか」と。

我が家にも私が習い始めたときから(習っても上手にならなかったピアノ)、息子が大学生のころまで、長いこと同じ調律師が調律してくれたピアノがありました。調律の時、音の注文をしたことはなかったような気がします。この音が小さいとか響かないとか、鍵盤がちゃんと上がってこないといったようなことしか言わなかったように思います。

今も調律師さんの顔を覚えていますが、どうしていらっしゃるのでしょうか。私のピアノを下取りにして、新しいピアノが我が家に来たのは息子が大学に合格したときでした。今、そのピアノを息子の長男ゆうたんが弾いています。新しい調律師さんが来ているそうです。

爽やかな読後感でした。今やっている写真の世界に思いを馳せて読みました。

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『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎

谷崎潤一郎(1886年ー1965年、東京日本橋生まれ)は、言わずと知れた昭和文壇の大御所です。

若い頃、数冊読んだことがありますが、好きな作家ではありませんでした。そういえば、谷崎現代語訳『源氏物語』も途中で放り出してしまっていたなあ。

それが「ほの暗い闇のうちに見つけた日本的な美の本質」を探ろうと手に取ってみました。

文庫本の帯に「まあどう云う具合になるか、試しに電燈を消してみることだ」

「『人はあの冷たく滑らかなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一個の甘い塊になって舌の先で解けるのを感じ、本当はそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う』ー西洋との本質的な相違に目を配り、かげや隅の内に日本的な美の本質を見る」

本書は全集第20巻、21巻の集録されています。昭和5年から23年に発表された随筆です。
1 陰翳礼讃 
2 懶惰の説 
3 恋愛及び色情 
4 客ぎらい 
5 旅のいろいろ 
6 厠のいろいろ

谷崎の美へのこだわりが書かれています。自分にとっての美を求めてのインテリアのこだわり。私自身はそんなにこだわっていないけれど、目が悪いのに、居住空間の蛍光灯は避けています。

昭和初期から前半に書かれたものなのに、全く古くさくないのです。西洋と東洋、世代格差も今の話のようです。

「ある程度の薄暗さと、徹底的に清潔」で「蚊のうなりさえ耳につくような静けさ」がある厠で、「しとしと降る雨の音を聞くのを好む」

女性の考察はどうでしょうか。昔の「奥」「奥さん」、「闇の中に住む彼女たちの取っては、ほの白い顔ひとつあれば、胴体は必要なかったのだ」。「東洋人は何でもないところに陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである」と。闇、陰翳から女性の美しさを述べています。「『女』と『夜』は今も昔も附き物である」と。男性の視点ですかね。

清潔度、恋愛から各国の国民性も論じています。

まだ電灯がなかった時代の、今と違った美の感覚が書かれています。日本では陰翳を認め、陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げてきました。 建築、照明、紙、食器、食べ物、女性、化粧、能や歌舞伎の衣装など、多岐にわたって陰翳の考察がなされています。

解説を吉行淳之介がしています。
1975年に文庫になり、私が読んだ本が2015年改訂29版です。今や古典ですね。古典の良さのある本でした。

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『ゆうじょこう』村田喜代子

著者村田喜代子は1945年、福岡八幡の生まれ。87年、『鍋の中』で芥川賞受賞したのをきっかけに『白い山』で女流文学賞、『真夜中の自転車』で平林たい子賞、『望潮』で川端康成賞などを受賞しています。本書で読売文学賞を受賞しました。

「貧しさ故に熊本の郭に売られた海女の娘イチ、郭の学校、女紅場(じょこうば)で読み書きを学び,娼妓として鍛錬を積むうち,女たちの悲哀を目の当たりにする。妊娠するもの,逃亡するもの、刃傷沙汰で命を落とすものや親の更なる借金のために転売されるものもいた。しかし,明治の改革の風を受け、ついに彼女たちはストライキを決意するー過酷な運命を逞しく生き抜く遊女を描いた。」

目次がほとんどひらがなです。
「なみの上」
「へ(灰)がふっ(降る)とおもいだす」
「いやい(蟻)が ないておりも(申)した」
「じ(地)のそこがほげもした(抜け申)」
「しろい ち(血)ば すい(吸い)もした」
他「あたいは たちいお(太刀魚)に なりもした」
「しょうぎ(娼妓)に おやは いりませぬ」
「なみの上で しにまする」などがあります。

イチは女紅場という廓の学校で勉強し、文字を覚え,自分の気持ちが綴れるようになるのです。
時にひどく殴られ、血を流し、娼妓となるわけですが、村田の筆致にはじとっとした湿り気はありません。三島由紀夫の『潮騒』のように、海の娘の素朴な逞しさ,賢さがあるのです。廓という状況下なのに、誰を恨むわけでもなく、前へ進もうとする強さがあるのです。

イチは硫黄島から熊本の東雲楼という大きな郭に売られてきた15歳の娘。時は明治36年。着いた日に他の3人の娘と同様、楼主に股を割られ,検分された。うりざね顔で、海で鍛えた美しい体を持つイチは高い値でこの東雲楼に売られてきたのだ。ここでは国訛りは御法度。イチは「こけー、こー(ここへ来い)」「こー、けー(これをください)」とニワトリのような声を出す娘だった。

しばらくはまだ店には出ず、東雲楼随一の花魁、東雲の部屋子となり、化粧の仕方、言葉遣い、立ち居振る舞いを学ぶことになった。

寝床のおける性技も、遣り手婆から特訓を受け、午後は女紅場で勉強。そこには元士族の娘で没落し,元娼妓だった鐵子さんがお師匠さんとして娼妓の暮らしに必要な言葉、文字、計算などを教える。明治34年開校。この廓、女紅場は実在したという。

イチの日記
じょうり(草履) はくの わすれて
いぬ、ねこだと 言われました
あたいの おとさん おかさん
しまでは はだしで あるいている
あたいは ここで じょうり はいている
じょうりを はいたら にんげん でしょか

このイチの日記がとてもいいのです。これは作者が創作したものなのでしょうか。資料から見つけたものなのでしょうか。

50がらみの男の初穂刈り イチは「痛て、痛て」と目を見開き、涙を流す。そしてイチは「はつほのばんにじだ(地面)がほげもした」と綴るのだった。

お師匠さんの鐵子さんは福沢諭吉の『新女大学』を読み、発奮したり,腹に据えかねたりしている。諭吉の女子への公平な愛というものは身分のある家の婦女子だけに注がれていることがわかり、腹を立てる。吉原で年季明けまで働き,稽古を治め、東京帝大の理学士と結婚しベルリンで暮らす友達もいたという。

鐵子さんは太陽が一番偉いと娘たちに教える。父母のため,親孝行のためという名目で、ここにいる娘たちは売れてきたが、お天道様のために売られることない.ただ恵みの光を注ぐだけだと語る。

花魁の紫が妊娠し、出産したが、子供を手放さず、東雲楼にも戻らず、姿を消した。

そんな頃、造船所でストライキが起きた。東雲楼の女郎たちも待遇改善を訴えてストライキに入る。
「たばこのね、さげれ」
「客のない日も ばんめしくわせ(食わせろ)」
と項目を並べ、紙に書いた。これに花魁の東雲さんも加わることになる。

お師匠さんの鐵子さんが樋口一葉のように賢く、全体を引き締め,引っ張って行くのですが、この鐵子さんが描写がもっと少なかったら、どうだっただろうかと思いました。

この作者の本をもっと読みたいと思いました。

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『ご機嫌な彼女たち』 石井睦美

著者石井 睦美(1957年神奈川県生まれ)。
1990年『五月のはじめ、日曜日の朝』で第三回毎日新聞はないちもんめ童話大賞・新美南吉児童文学賞などを受賞。2003年、小説『パスカルの恋』で第14回朝日新人文学賞を受賞し、筆名・駒井れんとして発表。2011年、『皿と紙ひこうき』で第51回日本児童文学者協会賞受賞。2015年、『わたしちゃん』で第26回ひろすけ童話賞受賞。絵本の翻訳も多数手がけており、2006年にはサラ・マクメナミー『ジャックのあたらしいヨット』の翻訳でが第53回産経児童出版文化賞大賞を受賞した。

石井氏のように児童文学に携わっている人の文章は平易で読みやすく、本書もサクサク面白く読めました。

本書の主人公はシングルで、子持ちの女性たち。

突然夫が家を出ていき、離婚し、娘の杏と暮らす寧(ねい)はフリーの校正者、42歳「それもわたしか」とつぶやきながら、家事をこなす。

寧の大学時代の友人で、問題児、翔を抱える万起子は子育てに悩みながらスタイリストとしてバリバリ働く。時に寧を頼りながら。年下の恋人がいる。

美香は20歳で美雨を生み、未婚の母となり、スーパーで働く。29歳。美雨は利発な子だが、突然美香とも誰とも口を利かなくなった。美雨と翔は同じクラス。美香と万起子はともに担任に呼び出される。

夫を癌で亡くし、料理屋を営む崇子。53歳。崇子と万起子は同じマンションに住む。

今日もバツイチ女性が集まる。

子供を抱え、懸命に生きる女たち。年齢も職業も違うが、ともに子供を抱えて生きる。四の五の言っている暇はない。時につまみながらしゃべり明かす。

実際にはちょっとうまく行き過ぎと思わないでもないけれど、このくらいの緩さがあるので、読後感がよかったのかもしれない。アラフォーの女性から読後感を聞いてみたい。

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