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ネパール旅行 (4)チャング・ナラヤン&バクタプル

1月15日
パタンのホテルで1泊し、翌朝ホテすぐそばのゴールデンテンプルとヒンドゥー教クンベシュワール寺院を訪れ、朝食後にバクタブルへ行くことになりました。天気は晴れ。

ネパールのほぼ中央にカトマンズ盆地があります。盆地内に首都カトマンズ(100万人都市)、その南に私たちの宿泊ホテルのあるパタン、それから今日行く古都バクタブルがあり、ネワール文化が残されています。そのどれにもダルバール広場と旧王宮があります。

まず、パタンから北東へ車で約1時間、バクタブルの北に位置するチャング・ナラヤンへ行きました。ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀ってあるネパール最古のヒンドゥー寺院です。標高1541mのところにあります。

チャング・ナラヤン
門前町の参道には土産物屋が並んでいます。
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チャング・ナラヤン寺院
寺の開基はリッチャヴィ王朝の323年、現存のは1702年に再建されたもの。観光客も少なく、とても静かでした。
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ガルーダに乗るヴィシュヌ神(宇宙維持神)
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ネパールのカレンダーと数字
ご覧のように1は9によく似ています。11日はどう見ても99に見えます。お札もそうで、外国人は混乱します。

このカレンダーはグレゴリオ暦ですが、ヴィクラム歴という独自の暦も持っています。太陰太陽暦で、1年の初めは4月中旬です。ですから新年は4月中旬から始まります。伝統行事はこの暦に則って行われているそうです。多民族国家で民族独自の暦もあり、ネワール族のネパール暦、チベット族のチベット暦もあるという。
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赤茶色のの煉瓦造りの建物が並んでいます。
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2階の窓から顔を出す人々
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仮面の並ぶ店先
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バクタプルに移動しました。車で30分南にあります。鉄道のないネパールではバスと飛行機が移動手段ですが、道路事情がよくないので、十数キロ走るのに1時間近くかかります。車も揺れに揺れ、埃が舞い上がります。

赤茶色の街バクタプル ここは映画「リトルブッダ」の撮影に使われた街だそうです。
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バクタプルの陶工広場
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ダルバール広場のゴールデンゲートをくぐると王宮に入ります。
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55の窓 窓枠の細工が見事です。
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昔の沐浴場
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トウマディー広場に立つ五重の塔 ニャッタポラ寺院 高さ30m
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芸術の街で木彫りの彫刻、特に窓の装飾が素晴らしいです。
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孔雀の窓 羽を広げた孔雀の周りに小さな鳥が35羽。ネワール工芸の最高傑作と言われています。
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バンティプルの街の様子
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再建中のお寺
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バンティプルでお祭りがありました。これについては後日アップします。

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (3) パタン ゴールデンテンプル&クンベシュワール寺院

今回の旅行はマレーシア航空で行ったため、クワラルンプールでトランジットしました。10時10分に成田を出発し、カトマンズに着いたのは22時30分。時差が3時間15分ありますから、クワラルンプールでの3時間を含め、15時間以上かかったことになります。

宿泊したゲストハウスはカトマンズの南、世界遺産パタンにありました。「ネワール族の文化と芸術を継承する美の都」と言われています。ここは中世マッラ3王国の首都が置かれていた街です。

これがネパールの国旗です。方形ではない珍しい国旗です。
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ホテルから路地を歩いて数分のところに仏教寺院のゴールデンテンプルがありました。建立は12世紀、現在の建築物は18世紀のものです。どこも精巧な細工が施されていました。

黄金の象の前で祈る男性
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祈る男女
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早朝より大勢の人が参拝に来ていました。
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鳩が舞いました。
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中庭周囲の建物の2階から 光って見えるのは信者が買って捧げるバターランプ。
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ゴールデンテンプルのすぐ北にあるヒンドゥー教寺院、クンベシュワール寺院、14世紀末のシヴァ神を祀る寺院。五重塔は修復中でした。後日ここで七五三のような女の子の祝いに出くわしました。

お堂を囲んで僧侶たちがそれぞれアサーナを敷いて、座っています。まるで手相見か占い師のように見えました。信者がマントラを唱えながら、食べ物やお花を捧げ、ティカ(おでこのマーク)を受け、祈ります。
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ティカを受ける女性 私も赤や黄色のティカを何度か受けました。その日はつけたまま過ごしました。
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祈る人々
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信仰が日常的で、まさに祈りの国でした。

街の様子
このこんがらがったような電線、事故はないのでしょうか。
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若い尼さんたち
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路地を物売りがリヤカーや自転車を引っ張ります。
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干してあるのはトウモロコシ
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街を歩く兵士たち ナマステと声をかけたら手を合わせてくれました。 
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テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (2)

やっと写真の整理が3分の1終わりました。

まず写真の前にネパールについて、ネパールで感じたこと、知ったことを忘れないうちに、頭に浮かぶままに綴りたいと思います。
文字ばかりですみません。


ネパール概略
ネパール連邦民主共和国というのが正式な国名です。ネパールは中国、インドという超大国に挟まれた、ヒマラヤ山脈を背にした小国です。植民地になったことはありません。それがネパール人の誇りのようでした。高く神々しく聳え立つヒマラヤ山脈がそれを守ったのでしょうか。

世界最強の傭兵といわれるグルカ兵はこのネパールから生まれました。。ヒマラヤの山々が鍛え上げた男たちが、今も世界中の戦場でグルカ兵として戦っているのは、やはり貧しいからなのでしょうね。ネパールは内陸国なので、海軍は持たずArmyで、志願兵制を取っています。街の至る所で軍人さんを見ました。人口比はかなり高そうです。

2001年に王宮でビレンドラ国王一家9名が惨殺されたニュースを覚えています。未だ真相は憶測の域を出ず、親インドの王弟が親中の国王を抹殺した宮廷クーデターとの説もあるそうです。この事件によって王室の権威は失墜し、2006年、国王の特権は全て剥奪され、2008年、制憲議会で共和制が議決されました。

現在ガイドのRさんの話では有力3党以外に小政党が100もあって、政府が機能しておらず、国民の多数は王政復古を望んでいるそうです。「民主共和国」とはいえ、「民主化」への道のりはまだまだ遠そうです。


ネパール人、ネパール語について
多民族国家で、色々な顔の人がいました。バルバテ・ヒンドゥー(インドから来た多数派でカーストに分けられている。各カーストは専門の職業を持っている。ネパール語が母語の人たち)、北インド系南部低地民、チベット・ビルマ語系山地民(グルカ兵はこの中の民族)、ネワール(ガイドのRさんはネワールのサカ族の仏教徒)、チベット系高地民など。
チベットの難民キャンプもカトマンズとポカラの2カ所にあり、ポカラのキャンプを訪問しました。

職能別カーストがあるからか、職人さんが多く、仏画、曼荼羅などの細密画、仏像(木、石)、織物など芸術作品が多く見られ、売られていました。街角の塀もアートで飾られていました。

ネパール語も民族に応じて複雑だそうです。公用語は北インドのパハリー語を母体とするネパール語です。ヒンディー語と同じデーヴァナーガリー文字で、文法は日本語とよく似ています。寺院で、古都で、マーケットで何回も流暢な日本語で話しかけられました。ガイドのRさんより上手な人がたくさんいるようでした。

ネパール人は人懐っこい人が多かったです。私はナマスとダンニャバード(ありがとう)の二つの言葉だけしか覚えれませんでしたが、この挨拶で、にこっと写真を撮らせてくれ、逆にありがとうと答えてくれました。


ネパールの宗教
ネパール人は老若男女、信仰心が厚いです。(日本でも神社仏閣は観光客で混んでいて、お賽銭を入れて祈っているので、はたから見れば信仰深く見えるでしょうか??)

ネパールは長らくヒンドゥー教を国教としてきましたが、2006年まで世俗国家に転換しました。ヒンドゥー教徒が80%を占めるそうです。毎日ホテルの近くのヒンドゥー教のクンベシュワール寺院に行きました。朝早くからサリーを着たおばあさんが祈りを捧げに来ていました。じっと祈るのではなく、祈りの所作があるようで、次々とマニ車や柱、鴨居などを触り、その指を自分のおでこへ持っていきながら、歩きます。

ホテルのそばにあったゴールデンテンプルは仏教寺院です。上座部仏教(小乗仏教)です。チベットからの人も多いので、チベット仏教も見られます。ネパールでは仏教、ヒンドゥー教間宗教に諍いはないという話でした。
先祖崇拝も見られ、ネパール仏教にはカースト制もあり、私には全て混然としているように見えました。Rさんによれば、「全然違うよ」ということでしたが。


気候について
カトマンズ盆地では、日が落ちると同時に急速に冷え込む盆地気候ですが、家々ではほとんどエアコンはないようです。最高気温は15〜20度ぐらい、最低気温は5〜1度ぐらいだったと思います。私たちが泊まったゲストハウスもエアコンがなく、電気敷毛布しかないので、ダウンを着たまま、ベッドの上で腹ばいになって、持っていったMacに撮影した写真を取り込んだり、メールを書いたりしていました。日中は家の前や公園でひなたぼっこをする人々があちこちで見られました。日中の日差しは東京より強く、汗ばむほどでした。

ネパールでは2015年4月25日に大地震に襲われ、9000人近い人の命が奪われました。復旧が遅れていています。世界遺産も日本のJICAや中国の資金援助により、どこも工事中でした。町や村ではまだまだ瓦礫のまま放置された家々がたくさんありました。
それに、乾季の埃っぽさが加わり、旅行中マスクが外せませんでした。

首都カトマンズはカトマンズ盆地にあり、移動中に段々畑や棚田がたくさん見られました。農作業の大変さがしのばれます。新鮮な果物、野菜を売る人々をどこでも目にしましたが、冬の1月のためか、残念ながら農作業は見られませんでした。


労働について
他のアジアの国々同様、ここでも早朝から女たちはよく働いていました。

訪問したレンガ工場では女たちが中心になって、埃まみれになって重いレンガを担いでいました。日本なら重機がするような重労働です。彼らは家族で敷地内の掘っ建て小屋で暮らしていて、子供や乳幼児もたくさんいました。彼らは就学していないのではないかと思われました。 Rさんの話ではインドや地方からの出稼ぎ者が多いそうです。

それから帰りの飛行機で30名ぐらいの20代男性のグループと一緒になりました。ネパールの青年たちで、これから全員韓国の仁川で5年間働くのだそうです。韓国語も勉強したと言っていました。日本の技術研修生のようなものでしょうか。皆真面目そうな青年たちでした。カトマンズに出稼ぎに来る人、出稼ぎに出る人、いろいろ。。。


教育について
色々な村々に立ち寄りましたが、子供たちがよく勉強をしているのが印象的でした。

パタンの私立学校を見学しました。そこでは英語による各教科の授業が行われていました。理事長さんが各クラスを紹介くださり、丁寧に説明してくれました。ネパール語の授業もありましたが、英語教育が自慢のようでした.。将来ネパール人のアイデンティティの確立に問題は起きないのないでしょうか。国際化時代に小国が生き残りをかける道として正しいのでしょうか。高学年になるとかなり難しい英語のテキストを使っていました。大学教育は全て英語で行われているそうです。日本で出会ったネパール人留学生たちは英語がよくできたのを覚えています。

公立より私立の方が人気があるようです。基本的にどちらの学校も、1年生から10年生までの10年制。低学年から落第のシステムがって、テストの点次第で進級できません。10年生の終わりには、全国統一の学力テスト(SLC)があり、これに合格しないと11年生には進めないそうです。

訪問時、10年生は試験に出かけているとのことで、教室は空っぽでした。SLCを合格してはじめて11&12年生のための学校に行き、その後で大学に進学します。(Rさんの話では首都圏では大学進学率が80%を超すという話でしたが、日本でそのデータを見ることはできませんでした)


カトマンズの町について
カトマンズの南へ30分、古都パタンのゴールデンテンプルのすぐそばにあるゲストハウスに7泊しました。朝夕、毎日街歩きをしました。まだまだ被災の傷跡が残っていました。どこも狭い道で迷路のよう。どの道も水汲み場とストゥーパのある広場に繋がっています。似たような広場や瓦礫の山があちこちにあるので、迷ってしまい、何度も道行く人に「ゴールデンテンプルはどこ?」と聞いて、ホテルに戻る始末でした。帰国する頃になってやっとホテル周辺の地理がわかってきました。


食事について
旅行中の食事はほとんど中華で、夜2回ネパール料理がありました。旅行中、1回「だんらん」という日本料理屋で食事をしました。日本人の経営の店で、美味しかったです。朝ごはんはホテルでコンチネンタル。中華料理は店は違えど出て来る料理はなぜか似たようなお皿でした。ほとんどの料理が油で炒めてあるので、胃が疲れ始めていて、ネパール料理が出て来る頃には胃が重く、あまり食べられませんでした。

フレッシュジュース、ヨーグルト、ビールが美味しかったです。

どの店でも食事の前にコップでホットウォーターが出てきました。飲み水はそのままでは飲めず、ペットボトルの水を飲みましたが、ボトルは1リットル以上なので。小さいボトルを持っていけばよかったと思いました。

旅行中や帰国後下痢をした人もいました。


動物について
仏教寺院、ヒンズー寺院、王宮、どこも鳩がいっぱい。一斉に飛び立つときは壮観でした。猫は室内にいるそうで、ほとんど見ることはありませんでした。犬はおとなしくて、そこら中でウロウロしたり、のんびり寝たりしていました。牛や山羊が街中で寝そべっているのも見ました。さたくさんの猿のいるサル寺(スワヤンブナート)にも行きました。

今回は行かれませんでしたが、サファリ国立公園があちこちにあって、インドサイ、ベンガルトラなどいろいろな野生の動物が見られます。


服装について
若い女性はみんなレギンスのような体の線の出る、ぴったりしたパンツをはいていました。スタイルがいいので、とてもよく似合っていました。ガイドブックにはサリーを着る人は減ったと書かれていましたが、年配の女性はほとんどがサリーや布を巻きつけた服装をしていました。

ネパールはとても興味深い国でした。まだまだ見ていないところがたくさんあます。復興の様子、子供達の様子など気になるところがたくさんあります。再訪したい国の一つとなりました。

写真が整理でき次第、アップしていきたいと思っています。

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行

明日からネパールに出発です。

ヒマラヤ、エベレストの国、インドの北の小さい国、(北海道の1.8倍)、人口約2700万人、ヒンズー教と仏教が混在した国です。ヒマラヤがあるので、寒いところというイメージがありますが、ネパールは緯度的には奄美大島と同じくらい亜熱帯地方です。首都カトマンズは盆地なので寒暖の差が大きく、20−3。この1週間、日中はかなり暖かいという予報です。

今日本にネパール人が増えています。インドカレーのお店に行ったら、ネパールの国旗をみるかもしれません。

ネパールの大学で長らく教鞭をとっていらっしゃったSさんがアレンジしてくださり、Sさんの旧友であるRさんがガイドを引き受けてくださいました。

14日(月) MH0089 10:55 成田発 香港着 14:50 10:10 成田発 クアラルンプール着 17.05
MH0114 20.30 クアラルンプール発 カトマンズ着 22.30
15日(火) パタン寺院周辺 ゴールデンテンプル等

16日(水) カトマンズ タルバール広場周辺  カトマンズ近郊農村

17日(木) バクタブル寺院周辺  カトマンズ近郊農村

18日(金) カトマンズ~バンプテル 
19日(土) バンプテル~ ~ポカラ
20日(日) ポカラ~カトマンズ サランコット・難民キャンプ・フェワ湖・ヒンズウ教寺院
21日(月) カトマンズ野菜市場、レンガ工場等

22日(火) 学校等

23日(水) MH0171 12:20 カトマンズ発 クラランプール着 19:20
24日(木)  MH0088 23:35 クアラランプール発 成田着 07:15

の予定です。ネパールの人々の暮らしが見られたら嬉しいと思っています。

では行ってきます。

テーマ : 旅行記 - ジャンル : 日記

イギリス旅行 16 感想 & スリ & 6度目の入院

今回のイギリス旅行で一番印象に残ったのはロンドンで見たPride in London のLGBTのパレードでした。性的少数者だけではなく、マイノリティーとの連帯を強く感じました。

旅行として良かったのはロンドン市内とライです。ロンドン市内はまだまだ見たいところがたくさんあり、ニューヨークやパリそして東京と同様、きっと何日いても飽きることはないでしょう。もっと美術館を見たり、路地をぶらぶら歩きたかったです。

ロンドンは物価が高い。消費税が20%、(ただしスーパーの食品は0%)で、公共のサービスが厚いと感じました。そのための予算が多いのでしょう。それに携わる人、ゴミ処理をする人や警官の多も日本よりずっと多いと思いました。

刺青をしている人がびっくりするほど多かったです。刺青が普通のファッションになっていると感じました。スポーツの世界でも世界陸上、世界水泳をテレビで見ていても感じていたのですが、ピアスを空ける感覚なのかもしれません。

イギリスの有名な交差点ロータリー
イギリスで運転をするチャンスはありませんでしたが、歩行者としては誠に不便なものだと思いました。よく文句が出ないものだと。目の前の通りを渡るのに場合によると3辺を通らなくてはならなくて、大変面倒なのです。

犬、特に大型犬が多いなあと思いました。でも、始末の袋やシャベルを持っている人は見かけませんでした。困ったものです。

私の旅行記はいつも食事の写真がないのですが、イギリスの食事は美味しくないんでしょと聞かれましたが、イタリア料理はイタリア人が作っているようでしたし、そんなことはありませんでした。しかし外食は東京よりはるかに高いです。20%の税金にサービス料にチップ。

日本のようにきちんとコトが運ぶというわけにはいきませんでしたが、杓子定規ではなく、人々は親切でした。地下鉄や電車の中の人々、ハイドパークで夕暮れのひと時を過ごす人々、牧場の羊飼いたち、もっと生活感の感じられるところを見たかったなあと思います。
きっとホームステイでもしないと無理なのでしょうね。

いつも旅行の最終日に問題が発生します。腹痛だったり、熱が出たり、飛行機に乗り遅れたり。

今回はコッツウォルズの帰り、バスを降り、地下鉄に乗り、二駅間で財布を二つすられたのです。日本並みのラッシュアワーで、すごく混んでいました。乗る前にポシェットのファスナーが閉まっているのを確認しました。一駅目で人が乗り降りし、また奥に入った時、ポシェットのファスナーが開いているのに気がついたのです。財布がありません。そんな時、右側にいた大きな男性が私のカバンがぶつかったと文句を言ってきたのです。謝りましたが、今思うとスった人とグルだったと思います。

次の駅で降り、Sさんに財布をすられたことを話し、駅の事務所に行きました。交通警察に電話してくれましたが、雑音が多くてよく聞き取れませんでした。直接会って被害届を出したいと言ったら、2箇所教えてくれました。タクシーで最初に行ったところはやっておらず、ヴィクトリア駅に行きました。

若い警官が被害届を受理してくれ、書式ではなく、レターを書いてくれました。この日は最終日だったので、パブに行く予定でしたが、そんな元気はなくなってしまいました。イギリスの文化の一つであるバブに行かれなかったのが心残りです。あと2日ロンドンに残ったSさんは友達とパブに行けたと聞いて良かったと思いました。Sさんにはお世話になりました。感謝です。

ホテルに帰ってすられたカードを止めなければなりません。クレジットカード2枚とバンクカード1枚。電話が通じた段階で被害はなかったので、ホッとしました。ポンドはそれほど持っていなかったのですが、米ドルを持ち歩いていたのが失敗でした。

旅行前に日本人は狙われやすいから、スリに注意するようにと散々言われていたのに。財布をポシェットに入れるのを見ていて、乗る前から狙われていたのでしょう。ファスナーを開けられたのすら気がつきませんでした。子供の頃、「親指サム」という鉄道スリの話を読んだことがあります。まさにその道のプロですね。

後日ピカデリーラインはカメラがついておらず、捜査ができないので捜査終了という日本語の手紙が届きました。日本に戻ってそれぞれのカードの再発行の手続きをとりました。

現金は海外旅行保険が適用されません。考えてみれば、いくらでも申告ができるわけですから、やむを得ないのかもしれません。財布に対し、幾らか保険がおりましたので、それで新しい財布を買いました。

こんなことがありましたが、イギリスが好きになりました。またチャンスがあったら行きたいと思います。今度はスコットランドにも。そしてアイルランドにも。

帰国してすぐ5回目の眼の手術をしました。それから1ヶ月経ち、19日に6回目の手術をしました。術後は順調ですが、またしばらく泳げません。もう終わりになってくれると嬉しいのですが。

テーマ : 写真日記 - ジャンル : 日記

イギリス旅行 15 ロンドン セントジェームズパーク&コヴェントガーデン

7月14日 (金)

今日はもうイギリスを去る日です。午後便なので昼にホテルを出れば間に合います。
最後の半日をまたロンドン市内を回ることにしました。

地下鉄に乗って、セントジェームスパークを散歩することにしました。ロンドンの中心地にあります。

公園を散策する家族
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公園の真ん中にレイクがあります。白鳥と黒鳥
ひながたくさん生まれたみたい。ずいぶん大きくなってきました。この子供たちは大きくなったら白鳥?黒鳥?
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この子達は白鳥?
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馬に乗った見回りの人
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お土産も買いたいし、マイ・フェア・レディの舞台になったコヴェントガーデンに行って見ました。すっかり綺麗になっていて映画の面影はありませんでした。
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こんなマーケットが通りごとにありました。
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ケーキのような石鹸
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家族づれ
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ロンドンのこの電話ボックスは間もなくなくなるのだそうです。
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ホテルの近くのイタリアンレストランでランチを食べました。
いよいよまたパディントン駅からエクスプレスに乗ってヒースロー空港まで行きます。帰りの飛行機は順調に飛び立ちました。
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次回まとめてイギリス旅行記は終わりとなります。

テーマ : 写真日記 - ジャンル : 日記

イギリス旅行 14 コッツウォルズ ストウ オン ザ ウォルド(Stow on the Wold) & チッピング カムデン(Chipping Campden

7月13日 (木 午後)

コッツウォルズコッツウォルズ3つ目の村ストウ オン ザ ウォルドへ行きました。

北へ行くに従ってライムストーン(コッツウォルズストーン)の色が濃くなってきています。どの村も石造りの立派な歴史の感じられる家々と丹精した花が見られ、美しい村々です。これらのうちの住みごごちはどうなのでしょうね。イギリスは涼しいのでエアコンのないところが多いのですが、温暖化で暑い日もあり、風通しはどうなのでしょうか。(私たちが訪英する前はヨーロッパは猛暑だったそうです)

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村の教会に行きました。
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椅子には可愛いクッションが並んでいました。
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教会の墓地では親子がボール投げをしたりしていました。
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読書する男性
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お散歩
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路地
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また慌ただしく、最後の村チッピング・カムデンへとバスに乗り込みました。事前の資料を見て、私が一番行きたかった村です。
正直に言えば、どの村も川が流れ、木々が豊かで、石造りの素敵な家々が点在していて、どこがいいか、どのツアーがいいか選ぶのはとても難しかったです。

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この村には茅葺き屋根の家があるというのです。私の頭は白川郷を連想していました。が、
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茅は短く刈られ、細かい金網のネットで覆われていました。建物が石造りですから、どっしりしています。
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この村の中心から少し歩くと大邸宅が点在しています。フェンスからのぞいて見ました。マナーハウスというのでしょうか。
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お散歩する人
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家々は本当に立派です。
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庭の手入れをする人
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天気も良く、雲も綺麗でした。15時半
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夏物のバーゲンセール。こうした買い物をする時間もなかったなあ。
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4時37分の雲
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ロンドン西部のタワービル火災現場 まだそのままです。危険じゃないのでしょうか。5時20分
まだ似たような造りのビルがいくつも建っていました。火災現場の映像を思い出しました。
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テーマ : 写真日記 - ジャンル : 日記

イギリス旅行 13 コッツウォルズ(Cotswolds) バイブリー(Bibury)&ボートン オン ザ ウォーター((Bourton on the Water)

7月13日 (木)

いよいよ旅程も残り少なくなってきました。

グロースターロード駅、7時45分集合。人気のコッツウォルズ。大型バスのツアーとなりました。コッツウォルズには小さな村がたくさん点在していますが、それぞれの村へのアクセスが良くないし、またタクシーがうまく捕まるかわならないので、ツアーに参加することになりました。

この北にはシェークスピアの誕生の地ストラットフォード・アポン・エイヴォンも、西には娘が昔ホームステイしたチェルトナムも、南にはバースもあり、どれも行った見たかったのですが、もともと一つところをゆっくり見たいタイプなので、仕方ありません。
このツアーは4つの村を回ることになっていますが、自分で行ったらゆっくりと2つぐらいしか回れないでしょうね。

で、まずは2時間かかってバイブリーの村へ。
ウィリアム・モリスにイングランドで最も美しい村と評された村です。村の中心に大きな養鱒場がありますが、寄っている時間がありませんでした。ライムストーン色の家々が点在する川の流れる綺麗な村でした。見学時間はわずか40分

蔦の絡まるスワンホテル
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川にマスが泳いできました。
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村と言われても田舎の感じは全然ありません。家々が立派すぎて、都市郊外の素晴らしい住宅地という感じです。
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川のゴミを拾う男性
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庭にブランコが見えました。やっと人が住んでいる感じが見られました。
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家々の花が綺麗です。
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次の村はボートン オン ザ ウォーター。水辺の村です。

古い石造りの建物に素敵なカフェ。街の中央にはウィンドラッシュ川が流れています。お昼休憩も入れて70分。カフェでパイを買って、川に面したベンチで食べました。

パン屋さん
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馬が通ります。
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ウィンドラッシュ川に鴨が泳いでいました。
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川辺で楽しむ人々
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古い建物
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素敵な住まい
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カフェ
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午後のひととき、こんなふうにくつろげたらいいですね。
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路地を覗くと
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ここに住む人々の普段着の暮らしが見えないのが残念です。

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イギリス旅行 12  ヘイスティング&シシングハースト城ガーデン

7月12日 午後

ライの街からバスで30分ぐらいでヘイスティング(Hastings)に着きました。ここは歴史の町です。1066年、イングランド王ハロルド2世はここでフランスのノルマンディー公ウィリアムを迎え撃ちましたが、ウィリアムが勝利し、ノルマン王朝の初代国王ウィリアム1世として即位しました。

ケーブルカーで上に登って、ウィリアムが建てたヘイスティングズ城の廃墟跡が見えました。
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この街も海辺の町です。イギリス海峡が見渡せます。
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町並み
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下に戻りて、街をぶらぶら
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どこへ行ってもストリートミュージシャンがいます。
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ランチを食べたら、もう時間がいっぱい。急いで道を下ったら、道を曲がり損ね、バスが見当たりません。大慌てをしました。

シシングハースト城ガーデンへ。イングリッシュガーデンの好きなSさんが楽しみにしていたところです。

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建物の中に入ると
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上から見ると
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ガーデンを散策しました。
1ヶ月前だったら、もっとお花が綺麗だったでしょうね。
ガーデンで植物の手入れをする人々

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私はとにかくイギリスの建物がとても気に入りました。
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ガーデンを楽しむ人々
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もう5時半 空はこんなに綺麗でした。
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一路ロンドンへと向かいました。

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イギリス旅行 11  ライ Rye

7月12日(水)

湖水地方から戻り、この日はイングランド南部イースト・サセックスへのツアーに出かけました。南方なので駅も市内の南の駅、ビクトリア駅8時20分集合です。

ヴィクトリア駅
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ゴミの収集車
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途中高速の反対車線で事故があり、その影響で1時間遅れで着いたのはライ。ここは色々な人から勧められた中世の街並みが残る町で、イギリス海峡に面しています。

小石を敷き詰めた道、古い町並み、タイムスリップしたような素敵な町です。
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蔦の絡まるマーメイドイン
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1561年に建造されたセントメアリー教会が見えました。
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セントメアリー教会の上に上ると街を一望できると聞いていたので、入場料を払って教会の狭い狭い階段を登って展望台まで上がりました。

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アドリア海のドブロブニクを思い出しましたが、あちらの方が明るい。そういえばドブロブニクに行ったのもSさんと一緒でした。
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オレンジ色の屋根をカモメが飛んでいます。海はすぐそばです。
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イギリスの教会で使われているものとしては最古の時計だそうです。
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時計のからくりも見られます。
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ステンドグラスも12世紀のもの。
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教会の近くのイプラ・タワー(Ypres Tower) 1249年、フランスの侵略に備えて建造された塔
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小さい町です。すぐぐるっと回れてしまいましたが、この街がとても気に入りました。ゆっくり散策したら、面白いものが見つけられそうな街でした。残念。

すぐ近くのヘイスティングへと向かいました。

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