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The Catcher in the Rye キャチャー・イン・ザ・ライ by J.D. サリンジャー、村上春樹訳

旅行記を中断して、

大学時代に読んで以来の再読です。以前読んだのは『ライ麦畑でつかまえて』(野島孝訳)です。

「J.D.サリンジャーの不朽の青春文学『ライ麦畑でつかまえて』が、村上春樹の新しい訳を得て、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』として40年ぶりに生まれ変わりました。ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。雪が降るように、風がそよぐように、川が流れるように、ホールデン・コールフィールドは魂のひとつのありかとなって、時代を超え、世代を超え、この世界に存在しているのです。さあ、ホールデンの声に(もう一度)耳を澄ませてください。」と書かれています。

読んでみたら、漠然とした印象以外、ほとんど覚えていませんでした。若い時に読んでよかった本を再読して、再び感動することは滅多にありません。この本もそうでした。

主人公のホールデン・コールフィールドは17歳、彼は西部の病院で療養中で、1年前の16歳のクリスマスの顛末をズルズルと語ります。ホールデンは読書は好きだけれど、勉学意欲がなく、単位を落として、クリスマス前に4校目のペンシー校も退学するとになります。

彼は学校を去る前に歴史教師のスペンサー先生に別れの挨拶に行くが、そこでもうんざり。ルームメイトとも喧嘩になり、学校を追い出される前に出て行くことになりました。

ニューヨークへ向かいますが、会う人出来事、すべて気の滅入ることばかり。気にいる人も気に入る出来事も滅多に起きない。ホールデンはタバコを吸い、酒を飲み、ホテルで娼婦を買うのです。なんたる16歳。でも、不良というわけではなく、自意識過剰の青春期の真っ只中。この世の中とうまく折り合いがつけられないし、つける気もない。

そんな彼の独白が続きます。

小さな子供が If a body catch a body coming through the rye と歌うの聞いて、ちょっと晴れ。女友達を呼び出して、演劇を見たり、スケートをしたりしても、うまくいかず、ますます気が滅入ることばかり。嫌なやつばかり。

そんなホールデンの大好きな妹、フィービーに会うために、親にわからないようにこっそりうちに帰ります。ホールデンはフィービーに
「でもとにかくさ、だだっ広いライ麦畑みたいなところで、小さな子供たちがいっぱい集まってなんかのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千もの子供たちがいるんだけど、他には誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは1人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで、僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立ってるわけさ。で、僕がそこでなにをするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからをつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走って行く子供なんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。たしかにへんてこだとはわかっているんだけどね。」と話します。

その翌日、別れを告げるためにフィービーにもう一度会い動物園に入る。フィービーは回転木馬に乗り、雨の中でそれを見たホールデンは強い幸福感を覚えるのです。

若い時期は神経をピリピリさせ、自分なりの正義と美意識から周りの人や物事に憤りを感じ、生きにくさを感じて大人になっていきます。そんな時代に読んだので、お気に入りの本の1冊となったのでしょう。

そんな本ですらほとんど覚えていませんでした。そしてホールデンの饒舌さにうんざりしながら読み進めていきました。

****
写真の整理が終わったら旅行記の続きを書きます。ちょっとたるんでいます。
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テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

ネパール旅行 (4)チャング・ナラヤン&バクタプル

1月15日
パタンのホテルで1泊し、翌朝ホテすぐそばのゴールデンテンプルとヒンドゥー教クンベシュワール寺院を訪れ、朝食後にバクタブルへ行くことになりました。天気は晴れ。

ネパールのほぼ中央にカトマンズ盆地があります。盆地内に首都カトマンズ(100万人都市)、その南に私たちの宿泊ホテルのあるパタン、それから今日行く古都バクタブルがあり、ネワール文化が残されています。そのどれにもダルバール広場と旧王宮があります。

まず、パタンから北東へ車で約1時間、バクタブルの北に位置するチャング・ナラヤンへ行きました。ヴィシュヌ神の化身であるナラヤン神を祀ってあるネパール最古のヒンドゥー寺院です。標高1541mのところにあります。

チャング・ナラヤン
門前町の参道には土産物屋が並んでいます。
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チャング・ナラヤン寺院
寺の開基はリッチャヴィ王朝の323年、現存のは1702年に再建されたもの。観光客も少なく、とても静かでした。
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ガルーダに乗るヴィシュヌ神(宇宙維持神)
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ネパールのカレンダーと数字
ご覧のように1は9によく似ています。11日はどう見ても99に見えます。お札もそうで、外国人は混乱します。

このカレンダーはグレゴリオ暦ですが、ヴィクラム歴という独自の暦も持っています。太陰太陽暦で、1年の初めは4月中旬です。ですから新年は4月中旬から始まります。伝統行事はこの暦に則って行われているそうです。多民族国家で民族独自の暦もあり、ネワール族のネパール暦、チベット族のチベット暦もあるという。
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赤茶色のの煉瓦造りの建物が並んでいます。
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2階の窓から顔を出す人々
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仮面の並ぶ店先
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バクタプルに移動しました。車で30分南にあります。鉄道のないネパールではバスと飛行機が移動手段ですが、道路事情がよくないので、十数キロ走るのに1時間近くかかります。車も揺れに揺れ、埃が舞い上がります。

赤茶色の街バクタプル ここは映画「リトルブッダ」の撮影に使われた街だそうです。
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バクタプルの陶工広場
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ダルバール広場のゴールデンゲートをくぐると王宮に入ります。
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55の窓 窓枠の細工が見事です。
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昔の沐浴場
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トウマディー広場に立つ五重の塔 ニャッタポラ寺院 高さ30m
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芸術の街で木彫りの彫刻、特に窓の装飾が素晴らしいです。
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孔雀の窓 羽を広げた孔雀の周りに小さな鳥が35羽。ネワール工芸の最高傑作と言われています。
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バンティプルの街の様子
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再建中のお寺
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バンティプルでお祭りがありました。これについては後日アップします。

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (3) パタン ゴールデンテンプル&クンベシュワール寺院

今回の旅行はマレーシア航空で行ったため、クワラルンプールでトランジットしました。10時10分に成田を出発し、カトマンズに着いたのは22時30分。時差が3時間15分ありますから、クワラルンプールでの3時間を含め、15時間以上かかったことになります。

宿泊したゲストハウスはカトマンズの南、世界遺産パタンにありました。「ネワール族の文化と芸術を継承する美の都」と言われています。ここは中世マッラ3王国の首都が置かれていた街です。

これがネパールの国旗です。方形ではない珍しい国旗です。
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ホテルから路地を歩いて数分のところに仏教寺院のゴールデンテンプルがありました。建立は12世紀、現在の建築物は18世紀のものです。どこも精巧な細工が施されていました。

黄金の象の前で祈る男性
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祈る男女
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早朝より大勢の人が参拝に来ていました。
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鳩が舞いました。
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中庭周囲の建物の2階から 光って見えるのは信者が買って捧げるバターランプ。
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ゴールデンテンプルのすぐ北にあるヒンドゥー教寺院、クンベシュワール寺院、14世紀末のシヴァ神を祀る寺院。五重塔は修復中でした。後日ここで七五三のような女の子の祝いに出くわしました。

お堂を囲んで僧侶たちがそれぞれアサーナを敷いて、座っています。まるで手相見か占い師のように見えました。信者がマントラを唱えながら、食べ物やお花を捧げ、ティカ(おでこのマーク)を受け、祈ります。
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ティカを受ける女性 私も赤や黄色のティカを何度か受けました。その日はつけたまま過ごしました。
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祈る人々
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信仰が日常的で、まさに祈りの国でした。

街の様子
このこんがらがったような電線、事故はないのでしょうか。
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若い尼さんたち
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路地を物売りがリヤカーや自転車を引っ張ります。
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干してあるのはトウモロコシ
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街を歩く兵士たち ナマステと声をかけたら手を合わせてくれました。 
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テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

ネパール旅行 (2)

やっと写真の整理が3分の1終わりました。

まず写真の前にネパールについて、ネパールで感じたこと、知ったことを忘れないうちに、頭に浮かぶままに綴りたいと思います。
文字ばかりですみません。


ネパール概略
ネパール連邦民主共和国というのが正式な国名です。ネパールは中国、インドという超大国に挟まれた、ヒマラヤ山脈を背にした小国です。植民地になったことはありません。それがネパール人の誇りのようでした。高く神々しく聳え立つヒマラヤ山脈がそれを守ったのでしょうか。

世界最強の傭兵といわれるグルカ兵はこのネパールから生まれました。。ヒマラヤの山々が鍛え上げた男たちが、今も世界中の戦場でグルカ兵として戦っているのは、やはり貧しいからなのでしょうね。ネパールは内陸国なので、海軍は持たずArmyで、志願兵制を取っています。街の至る所で軍人さんを見ました。人口比はかなり高そうです。

2001年に王宮でビレンドラ国王一家9名が惨殺されたニュースを覚えています。未だ真相は憶測の域を出ず、親インドの王弟が親中の国王を抹殺した宮廷クーデターとの説もあるそうです。この事件によって王室の権威は失墜し、2006年、国王の特権は全て剥奪され、2008年、制憲議会で共和制が議決されました。

現在ガイドのRさんの話では有力3党以外に小政党が100もあって、政府が機能しておらず、国民の多数は王政復古を望んでいるそうです。「民主共和国」とはいえ、「民主化」への道のりはまだまだ遠そうです。


ネパール人、ネパール語について
多民族国家で、色々な顔の人がいました。バルバテ・ヒンドゥー(インドから来た多数派でカーストに分けられている。各カーストは専門の職業を持っている。ネパール語が母語の人たち)、北インド系南部低地民、チベット・ビルマ語系山地民(グルカ兵はこの中の民族)、ネワール(ガイドのRさんはネワールのサカ族の仏教徒)、チベット系高地民など。
チベットの難民キャンプもカトマンズとポカラの2カ所にあり、ポカラのキャンプを訪問しました。

職能別カーストがあるからか、職人さんが多く、仏画、曼荼羅などの細密画、仏像(木、石)、織物など芸術作品が多く見られ、売られていました。街角の塀もアートで飾られていました。

ネパール語も民族に応じて複雑だそうです。公用語は北インドのパハリー語を母体とするネパール語です。ヒンディー語と同じデーヴァナーガリー文字で、文法は日本語とよく似ています。寺院で、古都で、マーケットで何回も流暢な日本語で話しかけられました。ガイドのRさんより上手な人がたくさんいるようでした。

ネパール人は人懐っこい人が多かったです。私はナマスとダンニャバード(ありがとう)の二つの言葉だけしか覚えれませんでしたが、この挨拶で、にこっと写真を撮らせてくれ、逆にありがとうと答えてくれました。


ネパールの宗教
ネパール人は老若男女、信仰心が厚いです。(日本でも神社仏閣は観光客で混んでいて、お賽銭を入れて祈っているので、はたから見れば信仰深く見えるでしょうか??)

ネパールは長らくヒンドゥー教を国教としてきましたが、2006年まで世俗国家に転換しました。ヒンドゥー教徒が80%を占めるそうです。毎日ホテルの近くのヒンドゥー教のクンベシュワール寺院に行きました。朝早くからサリーを着たおばあさんが祈りを捧げに来ていました。じっと祈るのではなく、祈りの所作があるようで、次々とマニ車や柱、鴨居などを触り、その指を自分のおでこへ持っていきながら、歩きます。

ホテルのそばにあったゴールデンテンプルは仏教寺院です。上座部仏教(小乗仏教)です。チベットからの人も多いので、チベット仏教も見られます。ネパールでは仏教、ヒンドゥー教間宗教に諍いはないという話でした。
先祖崇拝も見られ、ネパール仏教にはカースト制もあり、私には全て混然としているように見えました。Rさんによれば、「全然違うよ」ということでしたが。


気候について
カトマンズ盆地では、日が落ちると同時に急速に冷え込む盆地気候ですが、家々ではほとんどエアコンはないようです。最高気温は15〜20度ぐらい、最低気温は5〜1度ぐらいだったと思います。私たちが泊まったゲストハウスもエアコンがなく、電気敷毛布しかないので、ダウンを着たまま、ベッドの上で腹ばいになって、持っていったMacに撮影した写真を取り込んだり、メールを書いたりしていました。日中は家の前や公園でひなたぼっこをする人々があちこちで見られました。日中の日差しは東京より強く、汗ばむほどでした。

ネパールでは2015年4月25日に大地震に襲われ、9000人近い人の命が奪われました。復旧が遅れていています。世界遺産も日本のJICAや中国の資金援助により、どこも工事中でした。町や村ではまだまだ瓦礫のまま放置された家々がたくさんありました。
それに、乾季の埃っぽさが加わり、旅行中マスクが外せませんでした。

首都カトマンズはカトマンズ盆地にあり、移動中に段々畑や棚田がたくさん見られました。農作業の大変さがしのばれます。新鮮な果物、野菜を売る人々をどこでも目にしましたが、冬の1月のためか、残念ながら農作業は見られませんでした。


労働について
他のアジアの国々同様、ここでも早朝から女たちはよく働いていました。

訪問したレンガ工場では女たちが中心になって、埃まみれになって重いレンガを担いでいました。日本なら重機がするような重労働です。彼らは家族で敷地内の掘っ建て小屋で暮らしていて、子供や乳幼児もたくさんいました。彼らは就学していないのではないかと思われました。 Rさんの話ではインドや地方からの出稼ぎ者が多いそうです。

それから帰りの飛行機で30名ぐらいの20代男性のグループと一緒になりました。ネパールの青年たちで、これから全員韓国の仁川で5年間働くのだそうです。韓国語も勉強したと言っていました。日本の技術研修生のようなものでしょうか。皆真面目そうな青年たちでした。カトマンズに出稼ぎに来る人、出稼ぎに出る人、いろいろ。。。


教育について
色々な村々に立ち寄りましたが、子供たちがよく勉強をしているのが印象的でした。

パタンの私立学校を見学しました。そこでは英語による各教科の授業が行われていました。理事長さんが各クラスを紹介くださり、丁寧に説明してくれました。ネパール語の授業もありましたが、英語教育が自慢のようでした.。将来ネパール人のアイデンティティの確立に問題は起きないのないでしょうか。国際化時代に小国が生き残りをかける道として正しいのでしょうか。高学年になるとかなり難しい英語のテキストを使っていました。大学教育は全て英語で行われているそうです。日本で出会ったネパール人留学生たちは英語がよくできたのを覚えています。

公立より私立の方が人気があるようです。基本的にどちらの学校も、1年生から10年生までの10年制。低学年から落第のシステムがって、テストの点次第で進級できません。10年生の終わりには、全国統一の学力テスト(SLC)があり、これに合格しないと11年生には進めないそうです。

訪問時、10年生は試験に出かけているとのことで、教室は空っぽでした。SLCを合格してはじめて11&12年生のための学校に行き、その後で大学に進学します。(Rさんの話では首都圏では大学進学率が80%を超すという話でしたが、日本でそのデータを見ることはできませんでした)


カトマンズの町について
カトマンズの南へ30分、古都パタンのゴールデンテンプルのすぐそばにあるゲストハウスに7泊しました。朝夕、毎日街歩きをしました。まだまだ被災の傷跡が残っていました。どこも狭い道で迷路のよう。どの道も水汲み場とストゥーパのある広場に繋がっています。似たような広場や瓦礫の山があちこちにあるので、迷ってしまい、何度も道行く人に「ゴールデンテンプルはどこ?」と聞いて、ホテルに戻る始末でした。帰国する頃になってやっとホテル周辺の地理がわかってきました。


食事について
旅行中の食事はほとんど中華で、夜2回ネパール料理がありました。旅行中、1回「だんらん」という日本料理屋で食事をしました。日本人の経営の店で、美味しかったです。朝ごはんはホテルでコンチネンタル。中華料理は店は違えど出て来る料理はなぜか似たようなお皿でした。ほとんどの料理が油で炒めてあるので、胃が疲れ始めていて、ネパール料理が出て来る頃には胃が重く、あまり食べられませんでした。

フレッシュジュース、ヨーグルト、ビールが美味しかったです。

どの店でも食事の前にコップでホットウォーターが出てきました。飲み水はそのままでは飲めず、ペットボトルの水を飲みましたが、ボトルは1リットル以上なので。小さいボトルを持っていけばよかったと思いました。

旅行中や帰国後下痢をした人もいました。


動物について
仏教寺院、ヒンズー寺院、王宮、どこも鳩がいっぱい。一斉に飛び立つときは壮観でした。猫は室内にいるそうで、ほとんど見ることはありませんでした。犬はおとなしくて、そこら中でウロウロしたり、のんびり寝たりしていました。牛や山羊が街中で寝そべっているのも見ました。さたくさんの猿のいるサル寺(スワヤンブナート)にも行きました。

今回は行かれませんでしたが、サファリ国立公園があちこちにあって、インドサイ、ベンガルトラなどいろいろな野生の動物が見られます。


服装について
若い女性はみんなレギンスのような体の線の出る、ぴったりしたパンツをはいていました。スタイルがいいので、とてもよく似合っていました。ガイドブックにはサリーを着る人は減ったと書かれていましたが、年配の女性はほとんどがサリーや布を巻きつけた服装をしていました。

ネパールはとても興味深い国でした。まだまだ見ていないところがたくさんあます。復興の様子、子供達の様子など気になるところがたくさんあります。再訪したい国の一つとなりました。

写真が整理でき次第、アップしていきたいと思っています。

テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』 宮崎賢太郎

無事帰国しました。ちょっと長めの旅だったからか、年のせいか、山国であったためか、今回はちょっと疲れました。

記憶が鮮明のうちにネパールの感想だけでも書きたいと思っています。

今回は本書『潜伏キリシタンは何を信じていたのか』を出発前夜に読み終え、飛行機の中で簡単にメモをとったので、忘れないうちに要点のみ記したいと思います。

数年前から長崎、五島列島の潜伏キリシタンの教会を辿りたいと思っていました。ここは昨年世界遺産に登録され、今脚光を浴びています。

1616年の徳川幕府の禁教令。1500年、九州では時の領主がキリシタンに改宗すると、全領民にキリスト教への改宗を迫り、村中がクリスチャンとなりました。ほとんどの村人はキリストの教義を聞いた事もないし、司祭を見た事もない、文字の読み書きもできない農民、漁民たちでした。

そんな彼らがどうして230年もの間信仰を守り抜くことができたのかというのが本書のテーマです。

この間に幾度となく「崩れ」という一斉摘発もあり、天草では4度に渡って摘発された。

230年に渡る幕府の弾圧を逃れ、信仰を受け継いできたクリスチャンが浦上で神父と出会った。しかし、カトリックに戻ったものは決して多くなかった。

どうして彼らは戻らなかったのか。著者宮崎はこうした彼らを潜伏キリシタン、隠れキリシタン、カクレキリシタンと使い分けている。

先祖崇拝、現世御利益を願う日本古来の多神教、いたるところに神々が宿り、なくなった人たちは仏様になる。インドからやってきた仏教はこうして神道と結びつき、神仏習合となって、日本人に定着していった。そこへ新しい一神教の神さまがやってきたのだ。

毎日唱えるオラショの意味もわからず、仏壇、神棚に、キリスト教の祭壇を並べて、祈り続けてきた潜伏キリシタン。彼らは先祖の大切にしてきたものを守ってきただけで、キリスト教を信じていたのではなかったというのが作者の結論です。

そして日本にクリスチャンは1%もいないという理由について、宮崎はキリスト教は西欧のそのままのキリスト教を日本に持ち込み、それを広めようとしているから浸透しないのだと述べています。

平戸、五島列島の教会、村々を回ってみたいと思っています。

テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

ネパール旅行

明日からネパールに出発です。

ヒマラヤ、エベレストの国、インドの北の小さい国、(北海道の1.8倍)、人口約2700万人、ヒンズー教と仏教が混在した国です。ヒマラヤがあるので、寒いところというイメージがありますが、ネパールは緯度的には奄美大島と同じくらい亜熱帯地方です。首都カトマンズは盆地なので寒暖の差が大きく、20−3。この1週間、日中はかなり暖かいという予報です。

今日本にネパール人が増えています。インドカレーのお店に行ったら、ネパールの国旗をみるかもしれません。

ネパールの大学で長らく教鞭をとっていらっしゃったSさんがアレンジしてくださり、Sさんの旧友であるRさんがガイドを引き受けてくださいました。

14日(月) MH0089 10:55 成田発 香港着 14:50 10:10 成田発 クアラルンプール着 17.05
MH0114 20.30 クアラルンプール発 カトマンズ着 22.30
15日(火) パタン寺院周辺 ゴールデンテンプル等

16日(水) カトマンズ タルバール広場周辺  カトマンズ近郊農村

17日(木) バクタブル寺院周辺  カトマンズ近郊農村

18日(金) カトマンズ~バンプテル 
19日(土) バンプテル~ ~ポカラ
20日(日) ポカラ~カトマンズ サランコット・難民キャンプ・フェワ湖・ヒンズウ教寺院
21日(月) カトマンズ野菜市場、レンガ工場等

22日(火) 学校等

23日(水) MH0171 12:20 カトマンズ発 クラランプール着 19:20
24日(木)  MH0088 23:35 クアラランプール発 成田着 07:15

の予定です。ネパールの人々の暮らしが見られたら嬉しいと思っています。

では行ってきます。

テーマ : 旅行記 - ジャンル : 日記

『Timeless』朝吹真理子

作者は『きことわ』で芥川賞を受賞した朝吹真理子(1984年生れ)。私は2012年にこの本を読んだようです。
http://wako1202.blog50.fc2.com/blog-entry-414.html

「空から死は降ってこない。
降ってくるとしたら、
それは人間が落としている――。
芥川賞受賞から7年、待望の新作長篇小説。」

「恋愛感情も性関係もないまま結婚をした、うみとアミ。高校時代の教室、広島への修学旅行、ともに歩く六本木、そこに重なる400年前の土地の記憶、幾層ものたゆたう時間――。ぎこちない「交配」を経てうみは妊娠、やがてアミは姿を消す。2035年、父を知らぬまま17歳になった息子のアオは、旅先の奈良で、桜を見ていた……。」

本書は構成も表現もとてもおしゃれです。ファッション、音楽、美術、香水、食べ物、店など。それでいて、色々と解釈ができる暗喩が散りばめられています。かなり哲学的でもあります。本書の主人公はうみと息子のアオ(父親のアミがつけた名前)。

うみとアミは高校のクラスメートだが、高校時代から付き合いがあったわけではない。
登場人物の名前はとても個性的だ。水泳が好きで、クラゲに生まれ変わりたいといううみ。母親らしくない自由人の母の芽衣子と、ずっと別居している父。好きな人と子供を作るのが怖いというアミ。アミは被爆3世で、香料の研究をしている。アミはami(友達)かな?

タイトルのTimelessとは永遠の、時代を超えた、時間の枠に縛られないという意味のようだが、アオの姉であるうみの娘(実子ではない)はこよみという名前で「まいにちのきせつのめぐりをかんじるように」こよみという名前を実父がつけたと語っている。こよみの父はなくなり、アミは失踪する。

原爆が投下された広島。
モダン都市の六本木は坂が多く、お寺も多い。ミッドタウン、六本木ヒルズの路地に古い家屋や廃屋があったり、我善坊谷など、時代劇にそのまま出てくる名前も多い。ミッドタウンの前で江姫の火葬があったという。
そして歴史の街、奈良。

過去と未来、夢と現実が溶け合ったように展開していく。時を超えて溶けて層になっている海、うみ。

1部はうみが語り手で、2部は2035年、息子のアオが語っている。

感想の描きにくい、ストーリーを追いにくい本でした。魅力的で不思議な作品でもありました。

テーマ : 最近読んだ本 - ジャンル : 本・雑誌

2019年 あけましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

2019年賀状180122荏柄神社_4211_convert_20181231233802のコピー

今年もおたおたしているうちに年が明けました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

健康でいられますように
感謝の気持ちで過ごせますように
子供たちが笑顔で健やかに過ごせますように
世界に争いがなくなりますように

みなさまにとって良いお年となりますように心よりお祈り申し上げます。

『終わった人』 内館牧子

ブログの更新も3ヶ月以上怠り、もうブログの時代も終わったかなと思いました。

周囲ではフェイスブックの利用者が圧倒的に多いようです。家族もそうです。フェイスブックも色々な利用方法があると思いますが、初期にFacebookを外国人に乗っ取られて、大変なことが起きたり、不都合が生じたりして、どうも相性が良くない。人のは時折お邪魔して拝見しているのですが、今一歩が踏み出せません。

この3ヶ月の間、読書しなかったわけではありません。でも、軽めの本で、読み捨てで、もう何を読んだのか覚えていないのです。やはり備忘録は必要だと思いました。それなら日記がベストですね。それが書けない。。。

最近同年輩の人の口に上ることの多いこの『終わった人』、作者はテレビドラマの脚本や、大相撲の元横綱審議委員として有名な内館牧子(1948年秋田生まれ)です。読んだこともないのに、なかなか手に取る気が起きませんでした。

軽い本なので、すぐ読み終わり、このまま図書館に返そうかと思ったのですが、やはりちょっと感想を書いておこうと思いました。それで、また戻ってきました。

「定年って生前葬だな。
衝撃的なこの一文から本書は始まる。
大手銀行の出世コースから子会社に出向させられ、そのまま定年を迎えた主人公・田代壮介。仕事一筋だった彼は途方に暮れる。年下でまだ仕事をしている妻は旅行などにも乗り気ではない。図書館通いやジムで体を鍛えることは、いかにも年寄りじみていて抵抗がある。どんな仕事でもいいから働きたいと職探しをしてみると、高学歴や立派な職歴がかえって邪魔をしてうまくいかない。妻や娘は「恋でもしたら」などとけしかけるが、気になる女性がいたところで、そう思い通りになるものでもない。
これからどうする?
惑い、あがき続ける田代に安息の時は訪れるのか?
ある人物との出会いが、彼の運命の歯車を回す──。
シニア世代の今日的問題であり、現役世代にとっても将来避けられない普遍的テーマを描いた話題沸騰必至の問題作。」

主人公田代壮介、1949年生まれ、63歳、岩手出身、東大法学部に、現役入学、メガバンクに就職、49歳まで出世街道まっしぐら。子会社出向し、2年後転籍となる。

「一流大学に行こうが、どんなコースを歩もうが、人間の行き着くところに大差はない。しょせん「散る桜残る桜も散る桜」なのだ」(良寛の辞世の句)。

30歳で良家の子女と見合い結婚をし、一人娘に孫二人。51歳で「終わった人」になろうが、、高級サラリーマンであった壮介は都内のブランドマンションに住む、いわゆる「勝ち組」の人だ。何より仕事が好きだった男の定年。カルチャースクールやジムに通うが、仕事に代わる充実感は得られない。
一方、妻は美容師となり、生き生きと仕事をし、家庭もギクシャクしてくる。

私もジムに通うが、こんな人がいるいる。
仕事一筋だった男性は定年後のソフトランディングがうまくいかない。自分自身で折り合いをつけるしかないのだろう。60代は気持ちの上では十分若いのだ。だが、60歳も半ばを過ぎれば、若い時のような柔軟性もなくなり、新鮮なアイディアもなく、効率的な仕事はできない。時勢に乗ろうとすれば、振り落とされ、傷を負う。

壮介はそんな時、足掻き、新しい一歩を踏み出すのだ。そこからの急展開の激動の人生。やらずにいられなかった男の気持ち、なんかわかるなあ。

それにしても男たちは郷里が好きだ。郷里のトップ高を出た仲間達。それぞれ色々な人生を歩いてきて、定年を迎え、力が抜けてきているようだ。

今の50代は定年を見据えて、定年後をちゃんと考えて、ステップを踏んでいる。時代が変わったなあと思う。

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暑かった夏

9月になりました。今年の夏は暑かったですね。今日はこの暑かった夏を忘れるほどの涼しさ。また台風がきています。

暑いと撮影にも出かけられません。いよいよ在庫も底をついてしまい、夕方から撮影に出かけることにしました。

以前にも行ったことのある座間のひまわりです。16日、もう盛りを過ぎていました。
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ひまわり畑で撮影するカップル
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暗雲が立ち込めてきました。
180816座間雨乞い_1000

そこから小倉橋の灯籠流しに向かいました。
日が落ちて小倉橋がライトアップされ、静かに灯篭が流されました。

DSC_1318.jpeg

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最後に花火が上がりました。
180816小倉橋花火_1410

夏のひと時を楽しみました。

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